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「前衛的画家」 万鉄五郎

今日5月1日は、19世紀末から20世紀前期にかけてパリを中心におこって新しい美術運動、後期印象派・フォービズム・キュービズムを吸収しながら、独自の絵画を確立した万鉄五郎(よろず てつごろう)が、1927年に亡くなった日です。

1885年、岩手県東和町土沢(現・花巻市)に海産物の回送問屋の子として生まれた万鉄五郎は、幼いころから地元の日本画家から水墨画を学ぶかたわら、手引書を手に水彩画を独学するほど絵が好きな少年でした。地元の中学から1903年、上京して早稲田中学に編入学すると、白馬会洋画研究所に通いながら長原孝太郎らにデッサンや洋画の基本を学びました。1906年にはアメリカ西海岸にわたり、サンフランシスコの美術学校で本格的な修業をすることをめざしましたが、この年に起きた大地震のため帰国すると、その翌1907年に、東京美術学校(現・東京芸大)西洋画科予備科に入学しました。

当時万は、ゴッホやセザンヌらの後期印象派、単純化した形と原色を主とした配色をする「フォービズム」、物をさまざまな角度から立体的にとらえて平面に描く「キュービズム」といったフランスにおこった新しい画風を、積極的に取り入れようとする精神をもっていました。東京美術学校で学んだ5年間は、万を大きく成長させ、卒業制作の『裸体美人』『雲のある自画像』は、フォービズムを意識しながら独自の雰囲気をもった作品にしあげ、これが大きな話題となって、デビュー作となりました。特に『裸体美人』は国の重要文化財となっています。

1912年卒業後は、近代日本絵画に新時代をもたらした岸田劉生、高村光太郎らと画家のグループ「フューザン会」に加わって活躍しました。1914年夏から、絵画制作に専念するため故郷に帰り、美術界とは隔絶された状況に身を置きながら、キュービズム的な実験を試みました。そして再上京すると、1917年の二科展に出品した『もたれて立つ人』は、わが国ではほとんど見られないキュービズム理論に基づく論理構成された作品と評価されています。

しかし1919年、神経衰弱療養のために、神奈川県茅ヶ崎に転居しました。まもなく画風が変化し始め、次第に池大雅や浦上玉堂らの日本の伝統絵画に向かいました。油彩画のほかに南画(水墨画)を描き、伝統美術の新解釈は洋画にも反映され、『ねて居る人』『水着姿』『ほほ杖の人』などは晩年の傑作といわれています。

なお、万のたくさんの作品他は、「オンライン画像検索」で見ることができます。


「5月1日はこんな日」

メーデー…世界各地の労働者が、国際的に統一して権利要求と国際連帯の活動を行なう「労働者のお祭りの日」のメーデーです。


「5月1日にあった主なできごと」

1873年 リビングストン死去…文化の灯から閉ざされたアフリカ原住民たちへ深い愛を注いだ、イギリスの宣教師で探検家のリビングストンが亡くなりました。

1904年 ドボルザーク死去…「スラブ舞曲」や「新世界より」などの作曲で名高いチェコ・ボヘミヤ音楽の巨匠ドボルザークが亡くなりました。

投稿日:2013年05月01日(水) 05:55

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)