今日4月30日は、『鞍馬天狗』シリーズなど、大衆文学の質の向上に大きな貢献をした大仏次カ(おさらぎ じろう)が、 1973年に亡くなった日です。
1897年、横浜市に生まれた大仏次カ(本名・野尻清彦[はるひこ])は、東京府立一中を経て、府立一高在学時代に『一高ロマンス』を刊行するなど文学に傾倒しました。東京帝国大政治科を卒業しますが、その前後に、ロマン・ロランの反戦小説を翻訳出版をするほどで、卒業後は、鎌倉高等女学校の教師を経て、外務省に勤めながら、さまざまなペンネームを使って雑誌などに小説・翻訳・翻案を発表、1923年の関東大震災を機に作家活動に入りました。
1924年、娯楽雑誌「ポケット」にデビュー作となる小説『隼の源次』を、「大仏次郎」のペンネームで発表、これが生涯のペンネームとなりました。鎌倉の教師時代に、鎌倉大仏の裏手に住んでいたことによるものでした。同誌に連載を開始した『鞍馬天狗』は、たちまち人気シリーズとなって、人気作家となりました。このシリーズは、1959年まで書き続けられましたが、いっぽうで『照る日くもる日』『赤穂浪士』『ごろつき船』という新聞小説をかきました。それぞれ江戸時代を舞台にした時代小説でありながら、独自の心理描写をとりいれ、サラリーマン層の知的欲求に応える作品群となりました。
昭和に入っても、現代小説『帰郷』『宗方姉妹』、史伝『ドレフィス事件』、記念碑的なパリ・コミューン史『パリ燃ゆ』、絶筆となった『天皇の世紀』などの他に、新作歌舞伎『若き日の信長』、『小さい隅』などの随筆から童話にいたるまで、幅広いジャンルの作品を亡くなるまで意欲的に執筆しつづけました。読者を楽しませながら、読者に迎合しない姿勢に、知識人をふくめた広範な愛読者をもち、大衆文学の質の向上に大きな貢献をしました。1964年に文化勲章を受賞、没後の1977年から生地に近い港の見える丘公園に「大仏次郎記念館」が開設され、4万冊もの蔵書や資料がおさめられています。
なお、大仏は、鎌倉をこよなく愛したことでも知られ、地元の住民とともにに古都としての景観と自然を守ろう運動を起こし、「鎌倉風致保存会」を1964年に誕生させました。この運動の精神的母体となった英国「ナショナル・トラスト」を日本へ紹介したことでも知られています。
「4月30日にあった主なできごと」
1189年 義経衣川で自害…一の谷・屋島・壇ノ浦の戦いに勝利して、平氏を滅ぼした源義経は、兄源頼朝と対立、この日奥州藤原氏当主の藤原泰衡(やすひら)の率いる500騎の兵に、衣川の館を襲われました。泰衡の父秀衡(ひでひら)は、義経をかくまうよう遺言を残していましたが、頼朝からのおどしに泰衡が屈したためで、義経はいっさい戦わず、妻子を殺害して自害しました。
1945年 ヒトラー自決…ドイツの独裁者ヒトラーは、1933年から12年間ドイツを支配しました。1939年にポーランドに侵入、ソ連に戦争をしかけたことで、第2次世界大戦を引き起こしました。当初は、連戦連勝の勢いでしたが、やがてソ連はもりかえし、1945年4月に入ると、ドイツの首都ベルリンを陥落させるところまで追いつめ、この日、前日結婚したばかりの妻エバァとともに自殺しました。1週間後の5月7日にドイツは降伏し、ヨーロッパに平和がもどりました。