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犬と猫とこけら玉

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 78]

むかし、あるところに、心のやさしいじいさまがいました。ある日、じいさまが町へ行っての帰り、子どもらが小さな犬に縄をつけてをいじめているところに出くわしました。かわいそうに思ったじいさまは、小銭をいくらか出して犬を買いとり、家に連れ帰って大切に育てました。じいさまの家には三毛猫がいましたが、すぐに2ひきは仲良しになりました。

そんなある日、じいさまが焚きもの小屋をこわしていると、かわいらしい白蛇がちょろちょろ出てきました。じいさまが手の上に飯粒などのせてなめさせているうち、これもまたなついてきました。じいさまもこの蛇がかわいくなって、人に見つからないように手箱の中に入れておくと、いつのまにか手箱いっぱいに大きくなりました。たんすの中に入れておくと、こんどはたんすいっぱいに大きくなりました。

ある日じいさまは「蛇どの、蛇どの、おまえさんも一人歩きができるほど大きくなった。もう鳶(とび)や鷹にさらわれることもあるまい。どこへでも好きなとこへ行って、一本立ちしておくれ」と、人間に話すようにいい聞かせると、庭先の方へにょろにょろおりて行きました。

さて、どこへ行くのかと後をつけてみると、庭の松の根元の穴へするするとはいっていきます。穴をのぞいて見ると、中に光るものがあります。それを手にとって見ると、世にも珍しい「こけら玉」という宝物でした。じいさまは「はてさて、これは蛇どのの贈りものにちがいない」と押しいただいて持ち帰り、たんすの奥にしまっておきました。あくる日、たんすをあけてみると、なんと、こけら玉から黄金の粒が一つ出ていました。それからというものは、まいにち、黄金がひと粒あって、そのうちじいさまは、たいそうな金持ちになりました。そこで、その黄金をもとでに呉服屋をはじめたところ、これがどんどん繁盛していきました。

ある時、上方のものだという若者がやってきて、ぜひ番頭につかってくれと頼みました。店も手不足だったので、じいさまは、この若者を番頭に雇うことにしました。ところが、この番頭はぬけめのない男で、じいさまのお気に入りとなって店をきりまわすようになり、あるとき、じいさまからたんすのカギを預かったとき、こけら玉を盗み出すと、どこかへ消え失せてしまったのです。それからのじいさまは日に日に貧乏になり、とうとう元の貧乏じじいになってしまいました。

そんなある日、じいさまは、猫と犬をなでながらいいました。「長いあいだ、この家のために働いてくれたが、わしの油断から、おまえたちに食べさせるものもないような貧乏ったれになり下がってしまった。この家を出ていって、どこかで暮らしをたてておくれ」猫も犬もよく聞きわけて、しおしおと家を出ていきました。

猫も犬は、これもみんなあの上方から来た番頭のせいだと、番頭の足跡をかぎながらどこまでも行くと、上方の町に出て、やがて番頭の店にたどりつきました。なかなか繁盛しています。なんとか家の中に入ろうと、猫は台所へ入って、魚をくわえて逃げるまねをし、犬は猫を追いかけるふりをして魚をとりもどしました。この手柄で、犬はこの店の番犬に飼われ、猫もまた店のねずみをとるということで、いっしょに飼われることになりました。

そのうち、猫はねずみを1ぴき捕まえると「仲間を集めて、奥の小だんすの中にあるこけら玉を持ってこい。そしたら、お前たち一族の命を助けてやる」といいましたから、ねずみたちは小だんすをガリガリッとかじって中のうろこ玉を猫に届けました。まもなく、この店を抜け出した猫と犬は、じいさまの家をめざして行くうちに、大きな川へ出ました。すると、犬は「おれの背中に乗れ」と猫を背負い、猫はこけら玉をくわえて川を渡りました。向こう岸に着いたところ、一ぴきのきつねが出てきて「おいおい、あんたたちの持っている丸いものはなんだい? まりなら、まり投げして遊ばないか」と誘いをかけました。そこで三びきは、こけらら玉を投げ合って遊んでいるうち、きつねが受けそこね、大事な玉を川の中に落としてしまいました。

さぁ、こまりました。あわてて川の中をさがしましたが、玉は見つかりません。しかたなく猫と犬は、しょぼしょぼ、野を越え谷を渡って帰りかけました。すると、ある町に来かかると一軒の魚屋があります。店先に、たったいま捕まったばかりとみえる大きな魚がはねていました。「この魚でも、じいさまのおみやげにしてあげようよ」と、猫と犬はその魚をさらって逃げだし、じいさまの家にたどりつきました。

「おや、おまえたち、どこへ行ってた。よく昔のこと忘れないで、こんな大きな魚まで買ってきてくれたなぁ」と涙を流して喜びました。さっそく魚に包丁を入れると、どうもひとところだけ切れないところがあります。おかしいと包丁をねかせて身をそいでみると、腹の中からこけら玉がぽろり。「ありゃあ、なんたる手柄じゃ」じいさまが喜べば、猫も犬も大喜び。こけら玉のおかげで、じいさま一家は呉服屋をやっていたときよりも、もっと栄えましたとさ。


「3月28日にあった主なできごと」

1868年 ゴーリキー…「どん底」 「母」 などの作品を通し、貧しい人々の生活の中にある不安や、社会や政治の不正をあばくなど 「社会主義リアリズム」 という新しい道を切り開いたロシアの作家ゴーリキーが生まれました。

1876年 廃刀令…軍人・警察官・大礼服着用者以外、刀を身につけることを禁止する「廃刀令」が公布されました。これを特権としていた士族の不満が高まる原因となりました。

1930年 内村鑑三死去…足尾鉱毒事件を非難したり日露戦争に反対するなど、キリスト教精神に基づき正義と平和のために生きた思想家 内村鑑三が亡くなりました。

1979年 スリーマイル島原発事故…アメリカ東北部ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で、重大な原子力事故が発生しました。国際原子力事象評価尺度 (INES) ではレベル5となっています。

投稿日:2013年03月28日(木) 05:45

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)