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たらちね

「おもしろ古典落語」の112回目は、『たらちね』というお笑いの一席をお楽しみください。

「大家さん、八五郎です。遅くなってすいません。少しかぜをひいて、仕事を休んでましたもんで。やはり、店賃の催促で?」「そうじゃない。おまえはこれまで、きちんと払ってきたんだ。少しくらい遅れても、催促なんぞしないよ。じつはな、おまえに相談があるんだ」「相談? たとえば、この長屋をあたしにくれるとか」「ばかばかしい。おまえもそろそろ、身を固めないかってことだ」「なんです、身を固めるって」「女房をもつ気はないかってことだよ」「だって大家さん、いま、一人でさえ貧乏してるんじゃありませんか。この上、かかぁなんぞ持った日にゃ、干ぼしになっちまいます」「そうじゃぁない。いいか、おまえは一人で暮してきたから、うちでおまんま食うのは面倒だってんで、ちょくちょく外で飯を食ってるな。洗濯ものなんかも、ひとに頼んでるだろ。これじゃ、ずいぶんむだな銭がかかってるわけだ」「そうですかね」

「昔からよくいうように、ひとり口は食えないが、ふたり口は食えるというだろ。飯を炊くのも、洗濯も、みんなかみさんがやってくれる。それだけでも、かみさんひとり分の食いぶちは出ようってもんだ。どうだ、もらう気はあるか?」「ないことはありませんが、あっしみたいな、なんにもねぇところに来るなんてのがありますかね」「それがあるから、世話をしようといってるんだ」「もの好きだね、どうも…。で、どんな女なんです?」「まあ、いい女だな。器量は十人並み以上、色白で小柄で…」「へぇ、女っぷりはいいんですか。で、年は?」「ばぁさんや、あの娘はいくつだったかな。えっ? 二十五になった? 聞いての通りだ」「なんかきみが悪いな。あっしんとこへこようってんじゃ、よっぽど暮らしに困ってるんだな」「そんなことはない。夏冬の道具ひとそろいくらいは持っておる」「夏冬? こないだ芳公んとこへきた嫁ね、夏冬の道具持ってきたってぇから、聞いてみたらこたつと、うちわだってぇからあきれたね」「そんなばかばかしいのじゃない、長持の二棹(さお)くらいはある」「なんか話がうますぎやしませんかね。どこかキズでもありゃしませんか?」

「ふっふっふ、痛いところをつかれたな。そりゃまぁ、ないこともない」「ほうらね、横っ腹にヒビが入って、水がもるとか」「水がめじゃあるまいし」「わかった、夜中になると、首が伸びてあんどんの油をなめるとか」「ばかなことをいいなさんな。もとは京都の名家の出で、長い間屋敷奉公していたために、言葉がていねいすぎるということなんだ」「冗談でしょ。大家さんはいつもあっしに、言葉が乱暴でいけねえって、文句をいってるじゃないですか。ていねいなら、キズっていうことはないでしょ」「そりゃそうだけどな、ただこの女は、ばかがつくくらいていねいなんだ。このあいだ、風が強い日に、表でであったらな、『今朝(こんちょう)は土風激しゅうして、小砂眼入す』といったな」「へぇー、たいしたもんですねぇ」「おまえにわかるか」「わかりませんが、そんなえれぇこというなぁ感心だ」「わからないで、感心するな。つまり、けさは、細かい砂が目に入って困ります、とあいさつしたわけだ」「なるほど」「あたしもそのときは、いってる意味がわからなかった。でもくやしいから『スタンブビョーでござる』といったんだ」「なんです、そのスタンブビョーってのは?」「ひょいと前の道具屋をみたら、タンスと屏風があったんで、これをさかさまにして、ごまかしたんだな。むこうもわからないから、変な顔してた」「へぇー、さすがは大家さんだ。ごまかすのもうめぇ」「へんなほめかたをするな。で、どうだ。もらうか? それともことわるか?」「大あり名古屋は金のシャチホコでさぁ、お願いします」

ということで、暦を見ると、あすもあさっても日がよくない。思い立ったが吉日ということで、その日の夕方、輿入れということになりました。ところが大家さんは、用事があるからといって、お嫁さんを連れてきただけですぐに帰ってしまいました。なるほど美人なので、八五郎は大喜びですが、いざ話をするとなると、ちんぷんかんぷん。名前をたずねると、「みずからの姓名は、父はもと京の産にして、姓は安藤名は慶三、あざなを五光。母は千代女と申せしが、三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴の夢を見て、はらめるがゆえに、たらちねの胎内を出でしときは鶴女と申せしが、それは幼名、成長ののち、これを改め清女と申しはべるなり」「へぇー、それ、みんなおまえさんの名前かい? 弱ったなぁ、あした、大家さんに頼んで、ぶった切ってもらおう」てなことで、その夜は、そのまま床につきました。

さて、よく朝のこと。そこは女のたしなみで、朝、亭主に寝乱れ顔をみせるようなことなく、早起きして掃除をすませて、ご飯を炊こうとしましたが、米のある場所がわかりません。夫の枕元へ両手をついて、「あーらわが君、あーらわが君……」「へい、へい、へい、えーっ、もう起きちまったんですかい…、もっと寝坊しててもかまわねぇのに…えっ、なんだって? わが君? おい、わが君ってのはおれのことかい? うわぁ、こりゃおどろいたな。なにか用ですかい?」「白米(しらげ)のありかはいずこなりや?」「あっしは、ひとり者でも、ずいぶんまめなほうで、洗濯をよくしてるから、しらみなんざいねぇんで」「人食(は)む虫にあらず、米のこと」「ああ、米かい。そこのみかん箱の中にへえってるよ」

ご飯が炊きあがり、みそ汁をこしらえようとしましたが、汁の身がありません。どうしようかと思っているところへ、ねぎをかついだ八百屋がきました。「のうのう、これこれ、門前に市をなす、しずの男(おのこ)」「へぇ、あっしですかい?」「そのほうがたずさえたる白根草(しらねぐさ)なん文なるや」「白根草? ああ、根が白いからね、1わで三十二文だよ」「召すや召さぬや、わが君にうかがう間、門前にひかえておれ」「ははぁ、芝居だねぇこりゃ、それにしてもどぶくせぇ門前だよ」「あーらわが君」「おい、また起こすのかい。朝っぱらから八百屋なんかひやかしてちゃしょうがねぇなぁ…銭かい、その火鉢の引き出しに、こまけぇ銭がへぇってるから、いいかげんに買っといてくれ。それからね、その『わが君』ってぇのやめてくんねぇな、友だちに『わが君の八』なんていうあだ名がついちまうから」

すっかり食事のしたくができますと、夫の枕元にやってきて、ぴたりと両手をついて、「日も東天に出現ましまさば、うがい手水(ちょうず)に身を清め、神前仏前へ燈灯(みあかし)を備え、ご飯を召し上がってしかるべく存じたてまつる、恐惶謹言(きょうこうきんげん)」

「おい、おどかさないでおくれよ。飯を食うのが恐惶謹言なら、酒を飲むのはよ(酔っ)てくだんのごとしか」

* 「恐惶謹言」や「因(よ)って件(くだん)の如(ごと)し」は、ともに書状の終わりにつける言葉


「3月29日にあった主なできごと」

1683年 八百屋お七の刑死…江戸本郷の八百屋太郎兵衛の娘お七 (八百屋お七) が、放火の罪で、鈴ヶ森刑場で火あぶりの刑に処せられました。

1912年 スコット死去…南極点に到達するものの、アムンゼンに先をこされたイギリスの探検家スコットが遭難死しました。

1925年 普通選挙法成立…従来までは一定の税金を納めた者しか選挙権がなかったのに対し、25歳以上の男子に選挙権を与えるという「普通選挙法案」が議会を通りました。

投稿日:2013年03月29日(金) 05:08

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)