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へっぴり嫁ご

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 77]

昔、あるところに働きもので気立てのよい娘がありました。ところが、この娘の苦の種は大きな屁(へ・おなら) が出ることでした。これでは嫁のもらい手がないと、母親は嘆いていましたが、縁があって話がまとまり、嫁入りすることになりました。

なにしろ働き者で、気立てのやさしい嫁さまですから、「よい嫁ごをもらった」と息子もおっかあも大喜びでした。ところが、嫁さまはだんだん元気がなくなってきました。心配したおっかさんは、嫁さまにたずねてみました。「おまえさん、このごろ顔色が悪くなって、どこか具合がわるいのじゃないかい?」すると、嫁さまは、うつむいてもじもじしていましたが、とうとう涙をこぼし、嫁入りしてからずっと、屁をがまんしていたことを話しました。

「なんだ、そんなことか。屁なんかだれでもするよ。遠慮なくするがいい」「でも、おらの屁は特別大きいんで」「かまわねぇ、早くしたらいい」 「ありがとうございます、おっかさま。どうぞ、柱にしっかりつかまっていてください。それでは、ちょっくらごめんして」

嫁さまは、庭へ出て裾をまくると、これまでたまっていた分を、いっぺんにぶっぱなしました。ぶぉ〜っ、ぶぶぶっぶっ!!! 大砲のような音がして、嵐のような風が吹き起こり、柱につかまっいたおっかさんは、家の外へ吹き飛ばされ、向かいの大根畑まで飛んで行ってしまいました。

そこへ帰ってきた息子は、おっかさんの話を聞き、「そんな嫁ごは、家においとくわけにはいかねぇ。さっさと出てってもらおう」 おっかさんは、けんめいにとりなしましたが、息子はどうしてもいうことをききません。こうして嫁さまは、息子に連れられて、実家へ帰されることになりました。

さて、その途中。二人はとある川の渡し場まできました。船頭たちは帆かけ船に米俵をたくさん積みこんで船出をするところでした。ところが、風がやんでしまったために、船頭たちがどんなにがんばって船をこいでも、ビクともしません。これを見た嫁さまは、「おらなら、屁ひとつで動かしてみせるよ、あっはっは」と笑いました。馬鹿にされたと思った船頭の頭は、「よぉーし、それならやってみろ。もし、船を動かせたら、ここに積み残した米俵を持っていけ」「ほんとか? それじゃいくぞーっ」嫁さまは、ちょっと後ろを向いたかと思うと、とびきりでっかいのを、ぶぉお〜〜ん。船は帆にいっぱいの屁の大風を受けて走り出しました。「よかったぁ、これで、家へのおみやげができた。あんた、この米俵を、しょってきてください」
 
二人がとぼとぼ歩いてくると、大きな梨の木が立っているところに出ました。その下で、子どもたちが木をゆすったり、棒をふりまわしたり、何とかしてとろうとしますが、うまくいきません。これを見た嫁さまは、「おらなら、らくらく取れるけどな」とつぶやくと、子どもたちは「取って、取っておくれ!」と騒ぎたてます。嫁さまはしかたなく「それじゃぁみんな、ずっと遠くへ行って、そこらにある木に抱きついていな」といいきかせると、ぶぉお〜〜ん。 たちまち、よく熟れておいしそうな梨が、どんどん落ちて、地面がみえなくなるほどでした。

ちょうどそこへ、馬に乗った殿さまの一行がとおりかかりました。のどがかわいて水がほしいと思っていた時でしたから「これはうまそうじゃ」と、殿さまが馬から飛びおりると、家来たちもまけずに飛びおりました。殿さまも、家来たちも、子どもたちも、もちろん息子も嫁さまも、みんなおいしい梨にかぶりつきました。「ふぅっ、こんなうまい梨ははじめて食うたぞ」殿さまはこういうと、ごほうびに、手いっぱいの小判を嫁さまにくれました。

これを見た息子は、嫁さまを里に帰すのがおしくなりました。「屁がこんなに人の役にたつとは知らなかった。おらが悪かった。こんなすごい嫁ごは、やっぱり家にいてもらおう」 といって、家に連れて帰りました。

それからは、家の奥まったところに「屁屋」というものをこしらえて、嫁さんが屁をしたくなると、そこでやらせることにしたそうです。それが「部屋」というものの始まりだそうですが…、ほんとうですかねぇ。


「3月21日にあった主なできごと」

835年 空海死去…平安時代初期の僧で、真言宗を開き、「弘法大師」の名でしたしまれている空海が亡くなりました。

1685年 バッハ誕生…宗教的なお祈りや日ごろのなぐさめ程度だった音楽を、人の心を豊かに表現する芸術として高めたバッハが生まれたました。

1972年 高松塚古墳の極彩色壁画…奈良県明日香村にある高松塚古墳石室で、千数百年前の彩色壁画が発見されました。鮮やかに描かれ白虎や青竜、女子群像など4面は、国宝に指定されています。

投稿日:2013年03月21日(木) 05:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)