「おもしろ古典落語」の111回目は、『そこつの使者(ししゃ)』というお笑いの一席をお楽しみください。
むかし、ある大名の家臣に、地武太治部右衛門(じぶたじぶえもん)という方がおりました。この人は、そそっかしいだけでなく、のんき者でした。そこが面白いというので殿さまの大のお気に入りです。
ある日、殿さまがご親類すじへ使者を出すことになり、この治部右衛門に申しつけました。治部右衛門は大張りきりで、玄関へ出ました。「ああ、こりゃ、べんとうはおらぬか?」「弁当? さっき、お食事をすませたばかりですが」「弁当ではない、馬に乗るから、べんとうを呼んでるのだ」「それは別当(べっとう・馬丁)で、あなたの前にひかえております」「そうか、馬を持て。これ別当、こんな小さな馬があるか?」「それは、犬でございます」「犬か、どうりで小さいと思った。では馬に乗るぞ。これ、別当、この馬には首がないぞ」「あべこべに乗ったのでございます。馬の首は、あなたのお尻のほうにございます」「さようか、では身どもが尻をちょっとあげるから、馬をくるりとひとまわりさせよ」「そんなことはできません」「ならば、馬の首をちょっん切って、前へ持ってまいれ」てなぐあいに、出発前から大騒ぎ。
それでも、なんとか先方に着きました。でむかえの者がひとり出てまいりまして、「はじめまして、てまえは当家の家臣、田中三太夫と申します」「てまえは、田中治部右衛門と申します」「おや、貴殿も同じ名前で?」「はっ? まちがえました。じぶた、地武太治部右衛門でござった。ははは」「……して、本日のご使者の口上(こうじょう)は?」「口上? ええーと、うむ…」「どうなされました?」「うーむ、腹を切らねばならぬことになりました」「これは、またご冗談を」「まことに面目しだいもござらぬが、使者の口上、とんと失念いたしました」
「えっ、そりゃ、一大事」 使者というのは、主人の代わりですから、これを忘れてしまっては、切腹ものです。「じつは、てまえ、恥をもうしあげまするが、生まれついてのそこつ者、ものを忘れるたびに、親が尻をつねってくれました」「お尻を?」「田中氏(うじ)、武士のなさけじゃ、せっしゃの尻をキュッとつねってくださらぬか」「尻をつねるくらいなら、たやすいご用じゃ、グーっとおつねりいたしましょう」「かたじけない。さぁっ、おつねりくだされ」「つねってるんですよ」「いっこうに通じませんな。もそっときつく願います」「それでは両手でまいりますぞ」「つねられた気すらいたしませぬ。幼少のころから、いくどとなくつねられてきたために、尻にタコができております。ご家中に、指に力のあるご仁はござらんか?」「いや、当家には剣術や柔術ならば、腕のたつものもたくさんおりますが、指というのは…さて? 家来どもにたずねてみますから、しばらくおひかえください」
三太夫が若侍たちにこの話をしますと、みんな腹をかかえて笑うだけで、名乗り出る者はありません。そのとき、ちょうどお屋敷に大工が入っていて、耳にしたのが、大工の留公です。そんなに固い尻なら、一つ釘抜きでひねってやろうと申し出ました。三太夫はわらにもすがる思いでやらせることにしましたが、大工を使ったとあっては当家の名にかかわります。そこで、留公を臨時の武士に仕立て、中田留太夫という名で、治部右衛門の前に連れていきました。
あいさつはていねいに、頭に「お」、しまいに「たてまつる」と付けるのだといい含められた留公、初めは「おわたくしが、おあなたさまのお尻さまをおひねりござりたてまつる」などとシャッチョコばっていましたが、治部右衛門と二人になると、「おれは侍じゃねぇ、留って大工だ。口上を思いださねぇと、切腹だっていうから、かわいそうに思ってやってきたんだ。さぁ、尻を出しな。汚ねえ尻だね。いいか、どんなことがあっても後ろを向くなよ。さもねえと張り倒すからな」えいとばかりに、釘抜きで尻をねじり上げます。「ウーン、痛たたた、思い出してござる」。これを聞いた三太夫、ふすまをサラリと開けて「して、使者の口上は?」
「屋敷を出るおり、聞かずにまいった」
「3月22日にあった主なできごと」
1832年 ゲーテ死去…「若きウェルテルの悩み」「ファウスト」など数多くの名作を生みだし、シラーと共にドイツ古典主義文学の全盛期を築いたゲーテが亡くなりました。
1925年 ラジオ放送…NHK東京放送局が、ラジオの仮放送を開始しました。NHKは、日本の放送のはじまりを記念して、1943年から「放送記念日」としています。