児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  おもしろ民話集 >  おじいさんと孫

おじいさんと孫

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 72]

むかし、あるところに、もうすっかり年をとったおじいさんがいました。目はかすみ、耳は遠くなってよく聞こえません。手や足は、いつもこぎざみにふるえましたから、食事のときのスプーンさえも、ちゃんと持つこともきませんでした。スープを飲もうとしても、手がふるえるために、タラタラとテーブルにこぼしてしまいます。時には、一度口に入れたものまで、よだれのようにもどしてしまうのでした。

そんなおじいさんを見て、おじいさんの息子とその嫁は、腹を立てました。それで、テーブルから見えないよう、部屋のすみの暖炉の後ろに座らせ、食べものは粗末な素焼きの皿に、盛りきりにしてあてがいました。そのため、おじいさんは、お腹いっぱい食べることができず、しょんぼり暗いところに座って、みんなの食べているテーブルの方を見ては、目をうるませるのでした。
 
ある日のこと、ふるえる手で食事をしていたおじいさんは、思わずお皿を床に落としてしまいました。お皿は、こなごなにこわれたために、息子と嫁はガミガミしかると、その日はおじいさんに何も食べさせませんでした。おじいさんは、だまってためいきをつくばかりです。

翌日、嫁は、安物のそまつな木の皿を買ってきて、おじいさんにあてがいました。その日からおじいさんは、その木皿で食べることになりました。これなら、落としても割れる心配はありませんが、いかにもきたならしくて、おじいさんは情けない思いをしました。

そんなある日のこと、四才になるおじいさんの孫が、床の上に板きれを集めて、しきりに何かを作っています。それを見た父親が、男の子にたずねました。「おまえは、そこで何をしているんだい?」「ぼく、これで木のお皿を作ってるんだ」「ほう、じょうずだね。でも、そんなお皿を何に使うんだい?」「うん、ぼくが大人になったらね、お父さんとお母さんに、このお皿でご飯を食ベさせてあげるからね」

これを聞いた息子と嫁は、しばらく顔を見合わせていましたが、やがてワッと声をあげて泣き出しました。それからすぐに、おじいさんの手をとって、テーブルのところへ連れてくると、みんなそろって食事しました。そしてそれからは、おじいさんが少しくらいスープをこぼしたり、お皿をわったりしても、小言をいわなくなったんだって。よかったね。


「2月7日にあった主なできごと」

1812年 ディケンズ誕生…「オリバー・ツイスト」 「クリスマスキャロル」 「二都物語」 などを著したイギリスのヒューマニズム作家ディケンズが生まれました。

1834年 メンデレーエフ誕生…ロシアの化学者で、物質を形づくっている元素の研究をつづけ「元素の周期律表」を作成したメンデレーエフが生まれました。

1885年 岩崎弥太郎死去…明治の初期に海運業をおこし、船の運送にともない海上保険、造船、鉱山、製鉄、銀行、製紙など、さまざまな産業に進出し、三井財閥と並んで近代日本の産業界に勢力をほこる「三菱財閥」の基礎をつくった実業家 岩崎弥太郎が亡くなりました。

投稿日:2013年02月07日(木) 05:44

 <  前の記事 『野球の神様』 ベーブ・ルース  |  トップページ  |  次の記事 反対車  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/2975

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)