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『野球の神様』 ベーブ・ルース

今日2月6日は、アメリカ大リーグ(メジャーリーグ)のプロ野球選手で、アメリカ合衆国の国民的なヒーローとしてあがめられるベーブ・ルースが、1895年に生れた日です。

南部メリーランド州ボルチモアに、酒場を経営するドイツ系移民の子として生れたジョージ・ヘアマン・ルースは、母は病弱で(ルースが15歳の時に死去)、父は酒場の仕事で忙しく、息子の世話に関わっている余裕はほとんどありませんでした。学校をさぼり非行に走るルースをみかねた両親は、わずか7歳のとき孤児院を兼ねる全寮制の工業学校に送りこみました。この学校で、少年たちの教官を務めていたマシアス神父に野球を教わったことが、ルースの人生を決定づけました。1914年、野球部のエースとして活躍していたルースの試合を、たまたま見ていた大リーグのボルチモア球団のオーナーは、ルースのきわだったスケールにその場で契約を結び、大リーグの選手となりました。チームメイトたちは、世間知らずで子どもじみたルースを「ベーブ(赤ちゃん)」とよぶようになったことで、このあだ名が生涯残ることになります。

同年、ボルチモアから、ボストン・レッドソックスに投手として移ったルースでしたが、打撃でも活躍したことで、打者としての素質を買われ、1918年には11本のホームランを打ってホームラン王になりました。レッドソックスからニューヨーク・ヤンキースに移った1920年には、54本のホームランを打って、いちやく人気者になりました。このベーブの大活躍は、多くのプロスポーツの一つにすぎなかった野球を、最大の人気スポーツとさせるきっかけでした。

ルースは、1936年最初にアメリカ野球殿堂入りを果たした5人のなかの1人で、1927年に記録したシーズン60ホームランの記録は、1961年にロジャー・マリスによって破られるまで34年間、生涯通算ホームラン714本は、1974年にハンク・アーロンに破られるまで39年間もメジャー最多を記録しました。1935年に引退するまでの21年間に、ホームラン王12回、通算打率3割4分2厘、打点数2209、四球数2056、三振数1330など、どれも桁違いの記録を残しています。

また、1926年のワールドシリーズの前日、重病の少年を見舞うために病院を訪れた際、少年に翌日の試合でホームランを打つことを要望され、みごとに約束を果たしたというエピソードは有名です。1934年晩秋に、全米選抜チームの一員として来日、巨人軍の沢村栄治が、ルースを含む「全米軍クリーンナップを4連続奪三振」させたことで、日本に野球人気を根づかせることに一役を買っばかりか、この日は特に寒い日で、ルースはヒットで出塁した沢村にセーターを着せにいったことで「さすが大リーガーはやることが違う」と観客を感心させたといわれています。

なお、ルースは、1948年に亡くなる数年前に、恵まれない子どもたちのために「ベーブ・ルース財団」をこしらえ、遺産のほとんどを寄付しています。


「2月6日にあった主なできごと」

1537年 豊臣秀吉誕生…戦国時代に足軽百姓の子に生まれながら、織田信長にとりたてられて、全国統一をなしとげた豊臣秀吉が生れたとされる日です。

1972年 日の丸飛行隊が金・銀・銅独占…札幌冬季オリンピックのスキー70m級ジャンプで、笠谷が金、金野が銀、青地が銅メダルを獲得。過去の冬期オリンピックで金さえとったことのなかった大ニュースに、3人は「日の丸飛行隊」とよばれ話題を独占しました。

投稿日:2013年02月06日(水) 05:31

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)