今日2月5日は、雄大な自伝的シリーズで、映画や歌謡曲でも知られている『人生劇場』を著した尾崎士郎(おざき しろう)が、1898年に生れた日です。
愛知県吉良町(現西尾市)に彫り職人の子として生まれた尾崎士郎は、5歳で母を亡くしたことで、母方の祖父母に育てられました。旧制の岡崎中学時代から、夏目漱石やロシア文学を愛読するいっぽう、政治に関心を持ち、雄弁家として知られるようになりました。上京し、早稲田大学政治科に学びましたが学資が払えずに大学を中退すると、堺俊彦が設立した「大逆事件」の真相解明と社会主義者間の連絡や代筆・文章代理を業とする団体「売文社」に入って、国家社会主義に身を投じるようになりました。1921年、時事新報の懸賞小説に応募した『獄中より』が2位入選をはたすと、同年に『逃避行』を著わして文壇に登場、以後は本格的に小説家として身を立てることになります。
尾崎が作家として有名になったのは、1933年から都新聞に『人生劇場』を連載しはじめてからで、1935年に『人生劇場「青春編」』が単行本となって刊行されると、川端康成らに絶賛されて大ベストセラーとなりました。吉良から上京、早稲田大学に入学し、やがて学校を捨てた正義感あふれる青成瓢吉(あおなり ひょうきち)が、いかに生きるべきかをさぐりながら日本的な義理・人情の社会の中で懸命に生きる姿を描いたもので、以後「愛欲編」「残侠編」「風雲編」「離愁編」「夢現編」「望郷編」と計7編を著わしました。「残侠編」以外は自伝的な要素を取り入れた創作で、戦時下の花形作家となっていきました。晩年の1960年〜62年には「蕩子編」、『新人生劇場』「星河編」「狂瀾編」の3巻を出版するなど、文学史上まれに見る雄大な自伝的シリーズ作品となっています。
『人生劇場』は、過去に14回も映画化され(「青春編」「愛欲編」「残侠編」のみが原作)、戦後の作品では1968年版と1972年版が有名。村田英雄や鶴田浩二がうたった『人生劇場』(♪ やると思えば どこまでやるさ それが男の 魂じゃないか〜) も大ヒットし、今も人気を維持しつづけています。
戦後の尾崎は、『人生劇場』の続編以外に、『石田三成』『真田幸村』『篝火(かがりび)』など歴史小説を多く書き、日本人の伝統的な心情あふれた作風と庶民的な人柄が親しまれました。大の相撲好きで、横綱審議会委員もつとめ、江戸時代に活躍した『雷電』(1954年)など相撲関連の著書も多く残し、1964年に亡くなりました。
「2月5日にあった主なできごと」
664年 玄奘死去…中国・唐の時代の高僧で、中国の仏教を発展させた玄奘(げんじょう)が亡くなりました。玄奘三蔵の著した旅行記「大唐西域記」は、のちの民の時代に、三蔵法師が、孫悟空、猪八戒、沙悟浄をしたがえて、さまざまな苦難を乗り越えて天竺へ経を取りに行く物語『西遊記』として描かれ、世界的に有名になりました。
1597年 26聖人の殉死…豊臣秀吉の命令により、カトリック信徒二十六名が長崎で処刑されました。
1869年 小学校設置の奨励…明治政府は、小学校設置令を公布して小学校を設置するように全国に働きかけました。翌年に学制が発布され、1873年1月設置の東京師範学校附属小学校を皮切りに、1875年には約2万4千校の小学校が全国各地に設置されました。