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「越境将軍」 林銑十郎

今日2月4日は、大正・昭和初期に軍人政治家だった林銑十郎(はやし せんじゅうろう)が、1943年に亡くなった日です。

1876年、旧加賀(石川県)藩士の子として生まれた林銑十郎は、1894年に日清戦争がおきると、旧制四高(現・金沢大)を中退し、陸軍士官学校に入校しました。1903年に陸軍大学校を卒業すると、1905年には歩兵第6師団副官として「日露戦争」に従軍し、旅順攻撃に参加しました。その後、参謀本部員をへて1913年にドイツに留学し、第1次世界大戦がおこるとイギリスに駐在しました。

1916年に帰国して歩兵第57師団長となり、1923年には国際連盟の会議に陸軍代表として渡仏し、平和条約締結に貢献しています。中将として1927年に陸軍大学校長となった林は、教育総監部本部長、近衛師団長など陸軍の要職をへて、1930年に朝鮮軍司令官となりました。

翌1931年に「満州事変」がおこると、林は、満州(中国東北部)の関東軍(中国関東州に駐留していた日本軍)の兵力不足を補うため、朝鮮軍(朝鮮に駐留していた日本軍)を独断で満州に送りこんだことで、「越境将軍」といわれました。この行為は、天皇による正式の出兵命令がなくてはならないもので問題視されましたが、とがめられることはありませんでした。

1932年には、陸軍大将さらに教育総監となり、1934年からは齋藤実内閣、岡田啓介内閣で陸軍大臣を務めました。1935年には陸軍内で対立する皇道派の真崎甚三郎教育総監を辞めさせたことで、一部の青年将校の反発を受け、陸軍内の統制派、皇道派の派閥争いを激化させることになりました。1936年には大臣を辞職し、2・26事件後は予備役(よびえき)という役職につきました。

1937年1月、石原莞爾ら軍部に押されて総理大臣になった林は、極端なファシズム体制に動いたことで国民の批判が高まり、予算案を通しただけで議会を解散しました。そのためこの解散は「食い逃げ解散」といわれています。4月の総選挙では、政府を批判する野党が躍進したため、林内閣はわずか4か月で総辞職においこまれ、第1次近衛文麿内閣に引き継がれたのでした。 そのため、「何にもせん十郎」は当時流行語になりましたが、清廉に徹し、亡くなるまで実弟の家ですごしたようで、総理にもなった男が自宅もなかったのは林以外になかったといわれています。


「2月4日にあった主なできごと」

1181年 平清盛死去…平安時代末期の武将で「平氏にあらざれば人にあらず」といわれる時代を築いた平清盛が亡くなりました。

1703年 赤穂浪士の切腹…前年末、「忠臣蔵」として有名な赤穂浪士46名が、吉良義央(よしなか)邸に討ち入り、主君浅野長矩(ながのり)のあだ討ちをしたことに対し、江戸幕府は大石良雄(内蔵助)ら赤穂浪士46名に切腹を命じました。

1945年 ヤルタ会談…第2次世界大戦でドイツの敗戦が決定的になったことで、ソビエトのクリミヤ半島にあるヤルタに、アメリカ合衆国大統領ルーズベルト、イギリス首相チャーチル、ソビエト連邦(ソ連)首相スターリンの3国首脳が集まって、「ヤルタ会談」がはじまりました。

投稿日:2013年02月04日(月) 05:57

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)