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強情灸

「おもしろ古典落語」の104回目は、『強情灸(ごうじょうきゅう)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「おい、どうした。おれの家の前を素通りはねぇだろ」「ああ、兄ぃ。ここんとこ、身体の調子が悪いもんで」「医者へ行ったのか」「行ったんだけど、医者もどこが悪いかわからねぇってんだ。それで、人にすすめられて、峰の灸へ行ってきた」「あの灸はたいそう評判がいいそうだな」「行ってみて驚いたね、人でいっぱいだ」「その灸ってのは、いくらかピリッとくるのか」「くるかどころじゃねぇ、ピリッが押し寄せてくるんだから、行かねぇほうがいいぞ」「たかが灸じゃねぇか」「ところが、熱いのなんのって。灸はこれっばっかだよ、だからこんなもんと思うけど、気の弱いやつは、ひとつだけでもヒャーッて、飛び上がって天井突き破ってどっかへ行っちゃうよ」「嘘をつけ」「そんなに混んでたのか」

「そう、順番待ちの番号札を渡されたんで見ると、への三十六番。店のやつに『これはどのへんですか』って聞いたら『ずうーっとお尻のほうです』だと」「そりゃ、落とし噺だ」「こいつは待たされるなと思ってたら、おれのすぐ前にいた年の頃、二十四五の女がいてさ、ばかにいい女で、『そろそろ、あたしの番なのですが、みなさんが熱い熱いっておっしゃるのを聞いて、すえそびれています。おいやでなかったら、あたくしの番号と代わっていただけないでしょうか』ってんだ。そういわれて交換したら すぐにおれの番になっちまった」「うまくやりゃがったな」

「で、灸をすえるとこへ行くってぇと、待ってるやつが10人くらいいる。そこを『ちょっとごめんなさいよ』と通ると、『あの人我慢できますかねぇ』なんていうのが耳に入ってきたから、ぐっと尻をまくって、あぐらをかいて、もろ肌ぬいで待ってたんだ」「役者みてぇだな」「ああ、そうよ。すえるやつが出てきて『この灸はお熱うございますが、身体にはとても効きますから、どうぞ我慢をしてください』というんだよ。おれはいってやったね。『熱いったって、たかが灸だ、背中で焚き火をするわけじゃねぇだろ。どうすえるんだい』って聞くと『片側十六か所、もう片側十六か所です』っていいやがるから、『それっきりか。それじゃ、全部いっぺんにやってくんねぇ』」「おめぇ、男だね」「おれも、まさかいっぺんにすえやしねぇと思ったんだが、『本当によろしゅうございますね』って念をおすんだ。それで、『他人さまの身体にすえるんじゃねぇ、おれの身体なんだから、やってくれ』って、たんかを切ったんだ。そしたら、そいつは正直にもぐさを三十二並べて、火つけはじめたよ。背中に爆弾が落ちてきたと思うほど熱いんだ。たんかを切った手前、逃げ出すわけにはいかねぇ。みんながおれをとりかこんで『こんな我慢強い人は見たことない』『これが男の中の男でしょうね』。さっき順番をゆずってくれた女が『あたしだって、いつまでも一人でいられるわけじゃなし、亭主を持つんなら、こういう人といっしょになりたい』なんて、思ってやしないかと思ってね」「勝手に思え」「そのうち、とても我慢ができなくなって、『ごめんなさいッ』って謝って、取ってもらった」

「だらしがねぇな、まったく。ちっぽけな灸をすえただけで、逃げ出すなんて、それでも男か、みっともねぇ。(奥へ)おい、おっかあ、もぐさを持ってきな。こいつに、灸の見本をみせてやろってんだ。(もぐさをほぐしながら) おう、カチカチ山」「カチカチ山ってなんだ」「おまえのことだ。もぐさってぇのは、こうやって一つにして、大きくするんだ」と、いいながら腕をまくると、ひじの上に山のようにもぐさを乗せると、火をつけました。

「これだけじゃねぇぞ、うちわで扇ぐんだ」「よしなよ、腕が燃えるよ」「燃えてもらいてぇな。灸ってやつは、皮を焼いて、肉を焼いて、骨まで焼くもんなんだ。どうだ、煙が出てきただろ」「よしな、腕に穴があくよ」「そうしたら、水を張って、毎朝ここで顔を洗おうじゃないか」「やめろったら」「八百屋お七ごらんよ、好きな男に逢いたいために火つけて、捕まって火あぶりになったんだぞ。石川五右衛門の釜ゆでを知ってるか。太閤秀吉の首を狙おうとして捕まって、京の河原で釜ゆでの刑だ。釜ゆでったって、お湯じゃねぇぞ。油でゆでられたんだ。それでも五右衛門は、ニッコリ笑って辞世の歌を詠んだんだ。『石川や 浜の真砂はつきるとも われ泣きぬれて 蟹とたわむる』ってんだ」「それ、下の歌が違うんじゃないか」「いいんだよ、泥棒なんだから、人の歌だって盗むんだ。(だんだんと声の調子がうわずってきて)熱いと思うから熱い。だけど、八百屋…お七って、えらい、女だ。ああ、あつい! い・し・か・わ…んッ、ご・え・も・ん。わー、うー、わぁ〜ぁ」「おまえも強情なやつだな。で、五右衛門がどうした?」

「(もぐさを払い落して) 五右衛門は、さぞ熱かったろうな」


「2月1日にあった主なできごと」

1874年 佐賀の乱…前参議の江藤新平をリーダーとする明治新政府に不満を持つ佐賀県の士族が、政商の小野組を襲い「佐賀の乱」を起こしました。

1922年 山県有朋死去…明治・大正時代に政治家を兼ねながら、「明治の元勲」といわれ陸軍の最高実力者として活躍した山県有朋が亡くなりました。

1953年 テレビ放送開始…NHKは、日本初のテレビ本放送を開始しました。当時のテレビは値段が高かったため、契約者はわずか866名でした。

投稿日:2013年02月01日(金) 05:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)