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「社会派作家」 石川達三

今日1月31日は、第1回芥川賞を受賞した『蒼氓(そうぼう)』、発禁となった『生きてゐる兵隊』、映画化された『人間の壁』『金環蝕』の原作を著すなど、社会に眼をむけた作品を多く残した石川達三(いしかわ たつぞう)が、1985年に亡くなった日です。

1905年秋田県横手町(現・横手市)に中学教師の子として生まれた石川達三は、父の転勤や転職により、東京や岡山などで育ちました。9歳の時に母を亡くし父が再婚したことで、岡山県の旧制中学から関西の中学を卒業後、上京して1927年早稲田大学文学部英文科に入学しました。ところが学資を払うことが出来ずに1年で中退、国民時論社に就職し、電気業界誌の出版社の編集にたずさわりながら小説を書き続け、あちこちに売り込みをはかるものの、成果を得ることはできませんでした。

そのため会社を退職し、退職金を資金に1930年にブラジル移民を監督するという名目でブラジルのサンパウロに渡り、数か月後に帰国して復職しました。1935年、ブラジルの農場での体験を基にした『蒼氓(そうぼう)』が、第1回芥川賞を受賞したことで、いちやく文壇に登場、作家として一本立ちすることができました。

1937年末、中央公論社の特派員として「南京陥落」後の中国大陸におもむき、南京事件に関与したといわれる第16師団33連隊に取材した小説『生きてゐる兵隊』を「中央公論」に発表しました。しかし、無防備な市民や女性を殺害する描写などを含むおよそ1/4が削除されたにもかかわらず、「時局柄不穏当な作品」とされ、掲載誌は即日発売禁止の処分となったばかりか、禁固4か月執行猶予3年の判決を受けてしまいました。(完全版は『生きている兵隊』として1945年12月に刊行)

戦後、社会派作家として活動を本格化し、佐賀県で起こった教育労働争議を通して、ナイーブな女教師が成長していく姿を描いた『人間の壁』や、九頭竜川ダム汚職事件を取材して社会性のある正義を問う『金環蝕』は、山本薩夫監督が原作を基に製作、公開映画となって大きな話題となりました。

その他、流行語にもなった『四十八歳の抵抗』、70年安保の終えんと若者の虚無感、青春の情熱、孤独、焦燥などを描いた『青春の蹉跌』、太平洋戦争末期の日本に暮らす人々の悲しい姿や心を描いた『風にそよぐ葦』などの作品があります。晩年は、文壇のまとめ役として力をそそぎ、日本ペンクラブ会長や日本文芸家協会理事長などを歴任しました。


「1月31日にあった主なできごと」

1797年 シューベルト誕生…『ぼだい樹』『野ばら』『アベ・マリア』など600曲以上もの歌曲や、『未完成交響曲』などの交響曲や室内楽曲、ピアノ曲他を作曲したシューベルトが生まれました。

1947年 ゼネスト中止命令…激しいインフレを背景に生活を脅かされた労働者たちは、共産党の呼びかけで2月1日にゼネスト決行を計画しましたが、マッカーサーGHQ総司令官は、ゼネストは日本経済を破滅においやると、中止を指令しました。

1958年 アメリカ初の人工衛星…前年にソ連に先を越されたアメリカは、初の人工衛星エクスプローラ1号の打ち上げに成功しました。

投稿日:2013年01月31日(木) 05:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)