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反対車

「おもしろ古典落語」の105回目は、『反対車(はんたいぐるま)』というお笑いの一席をお楽しみください。

明治を代表するのりものといいますと、「人力車」ですね。梶棒(こんぼう)をにぎった車夫が、ひとりかふたりの客を乗せて、「ほらよッ、はいッ…」と気合いを入れて、ガラガラッと走りました。この人力車が発明されましたのが明治3年、これは便利だっていうので、たちまち流行しまして、十年後の明治13年には東京だけでも15万6千台にもなったっていうんですから、もう町ん中は人力車の洪水です。繻子(しゅす)のつめ襟の上着に金モールの縫いのあるドイツ帽をかぶって、きりっとしたももひきで、乗ってるお客よりも金のかかったみなりをしているのもいましたが、中には怪しげなのもまじっておりました。

「おぃっ、くるま屋さん」「旦那、お安くまいりますよ」「上野の停車場までやってくんな。今夜の終電車に乗るんだ」「おいくらで?」「おいくらだ? おめえが乗せるんじゃねぇか」「乗るのはあんただ。どうせいい値じゃ乗りますまい」「いいよ、いい値で」「それじゃ五円」「まぬけめ、神田から上野まで五円もだすばかがいるか、円と銭が違うだろ」「だから、勝手に値切ったらいいでしょう」「そうさな、せいぜい十五銭てぇとこだ」「いいですよ、まいりましょう」「おっそろしく、早くまけたな」「それじゃ、お乗りください」「おいおい、このくるまァ、ずいぶんきたねぇな、それにへんなにおいがするよ」「昨日まで、豚を配達してましたから。人間乗せるのは、お客さんが口あけで…」「ひでぇのに乗っちまったな、おい、ひざかけの毛布がないじゃないか」「豚は毛布なんてかけませんから」「風邪ひいたらどうすんだ」「あたしの親戚に、くすり屋があるから、そこで買いなさい」

旦那はしかたなく、鼻をつまんで乗ったところ、車夫は梶棒を高くあげながら、ぶらーりと歩きはじめました。なぜ、高くあげるのかと聞けば、梶をさげると提灯を引きずるし、提灯をつけないとお回りにつかまるから、間に合わせで、お稲荷さんの奉納提灯を失敬してきたものだといいます。おまけに、やけに遅い。年寄りの乳母車にも抜かれる始末です。遅すぎるといえば、心臓病で、走ると心臓が破裂すると医者にいわれてる。もし破裂したら死骸を引き取ってくれといい出したので、旦那はあきれて「十銭やるからおりる」といっても、決めた金はゆずれないと聞きいれません。

しかたく十五銭を払って降りた旦那は、次のくるまを探します。「おいっ、若いくるま屋さん。あんたは達者かい?」「えーっ、達者ですとも。 いきなり達者かいとは、へんなお客さんだ」「おこっちゃいけないよ。心臓は丈夫かいと、聞いたまでだ」「達者かどうか、ちょっと乗ってみておくんなさい。ほらよッ、はいッ…」「あっ、くるま屋さーん、うわっ、もう行っちまいやがった」「へぇ、ただいま。乗ってなかったんですね、どうりで軽いと思った」「おまえさんなら大丈夫だろう」「どちらまで?」「そこの万世橋を渡ったら、かまわず北へ走っておくれ」「へぇ、合点です。あっしのは早いから、旦那、足を思い切り突っ張っててくださいよ」といったかと思うと、飛ばしすぎて首が落っこちそう。しじゅうジャンプするので、生きた心地がしません。しゃべれば、舌をかんで死んだ人がいるというので、口も聞けません。観念して目をつぶると、どこかの土手へぶつかってやっとストップしました。見慣れないところなので、どこかと聞けば、埼玉の川口だといいます。

「冗談じゃない。わしは上野駅でおりるんだ。ひっかえしておくれ」「ようがすよ。でもね、さすがのわたしも目がくらんできた」「目がくらむとどうなるんだ?」「よく見えねぇから、川でもなんでも飛びこんじまう」「飛びこんだことなんてあるのかい?」「ええ、ちょくちょく。そろそろやりそうです」「冗談はこまるよ、そろそろでいいから頼むよ」「あっしには、そろそろってのはないんです」といったかと思うと、走る走る、南へ南へ。仲間の人力車を30台、汽車まで追いぬいてようやく止まったので命拾いしたと、値を聞くと十円。最初に決めなかったのが悪かったと、しぶしぶ出しましたが、「おい、見なれない停車場だか、どこだい?」「あっ、旦那、川崎です」「川崎? あたしの行きたいのは上野といっただろ。ご苦労だが、ひっかえしてもらおうか」「へぃ、さぁ、駆け出しますよ。あらあらっ、はっはっは。へい、旦那ッ、こんどは正真正銘の上野駅です」「まさしく上野だ。暗くてわからないが、いま何時だ」「午前1時すぎで……」「それじゃ、終列車は出ちまったじゃないか」

「なあに、心配ありません。一番列車には、かならず間に合います」


「2月8日にあった主なできごと」

1725年 ピョートル大帝死去…ロシアをヨーロッパ列強の一国に発展させ、バルト海交易ルートを確保したピョートル大帝が亡くなりました。

1828年 ベルヌ誕生… 『80日間世界一周』 『海底2万マイル』 『地底探検』 『十五少年漂流記』 などを著し、ウェルズとともにSFの開祖として知られるフランスの作家ベルヌが生まれました。

投稿日:2013年02月08日(金) 05:01

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)