たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 66]
昔、ある村の小高い丘に、1軒の白い家がポツンと建っていました。その家には、たったひとり老人が住んでいて、村でおきた出来事をなんでも知っているので、村の人々のあいだでは「魔法使い」とささやかれていました。
その村に、エミリーという女の子が母親とくらしていました。母親は夫が亡くなったために、昼間は畑仕事に出て、エミリーを育てていました。仕事はつらく、母親はいつも疲れはてていました。でも、エミリーは母親に水くみなどのお手伝いをたのまれても、はいと返事をするだけで、あまりやろうとはしないので、母親は口やかましく小言をいうのでした。
ある寒い冬のことです。母親は、エミリーに暖かそうな赤い手袋を買ってきて、こういいました。「とても高い手袋なんだからね、大事にするんだよ。なくしたら、もう二度と買ってあげないからね」でも、エミリーはうれしくてたまりません。そこで、しもやけにふくらんだ手に赤い手袋をはめると、あちこちの友だちのところに見せびらかせにいって、自慢をしました。ところがどうしたことでしょう。みんなに見せたあと、手袋をはめようとすると、手袋の片方がないのです。エミリーは、夢中になって、なくした手袋を探しまわりました。けれど、だれも手袋のことを知りません。「手袋がなくちゃ、家に帰れないわ」。あんまり、いっしょうけんめい手袋を探しているエミリーを見て、ある家のおばさんが、あの丘の白い家の老人に聞いてみたら、といわれました。
エミリーは老人の家のドアをたたきました。「おじいさん、あたしの赤い手袋はどこにあるのかしら」「おまえの手袋なら、ほら、 わしがここに持っているよ。もし、おまえが手袋をどこでみつけたか、だれにもしゃべらないと約束したら、この手袋を返してあげてもいい。だがね、もしもだれかに話したら、時計が夜中の12時を打ったら、わしはおまえをベッドからつまえるからね。いいね?」約束をしたエミリーは、飛ぶように家に帰りました。
エミリーが家にもどると、母親はエミリーが手袋を片方なくしたことを知っていました。「何でなくしたの! あら? どこで見つけたんだい?」 老人との約束を思い出して、エミリーは何もいいませんでした。ところが、あまり強くつめよる母親に負けてしまい、老人と約束したこと、だれかに話をすればさらわれてしまうことも、みんな話してしまいました。……そして母親は、ドアというドア、窓という窓にきっちりと鍵をかけて、だれも入ってこれないように、しっかり戸締まりをしました。
でも、ベッドの中に入ったエミリーは恐くて寝れません。老人との約束を守らなかったことを後悔していました。午後10時。エミリーは心配でしくしく泣きだしてしまいました。午後11時、エミリーは大声で泣きだしました。そして12時が近づくと……、
ささやく声が聞こえてきたのです……「エミリー、ほぅら、1段のぼったぞ」「エミリー、ほぅら、2段目だ」「エミリー、ほぅら、3段目だ」……「エミリー、いよいよ11段だ」「エミリー、とうとう12段のぼったぞ」「エミリー、いまわしはおまえの部屋の前だ」
「エミリー、わしはおまえをつかまえた!」
エミリーのベッドは、[からっぽ] でした……。
「12月18日にあった主なできごと」
1779年 平賀源内死去…江戸中期の蘭学者、博物学者で、エレキテルの製作や燃えない布の発明、小説や戯作家としても活躍した平賀源内が亡くなりました。
1891年 足尾鉱毒告発…田中正造はこの日の議会で、足尾鉱山の選鉱カスによる鉱毒、山林の乱伐、煙害や排水により、渡良瀬川の洪水と結びついて、沿岸一体の農地を荒廃させた「足尾鉱毒問題」をとりあげて、事態の重大性を訴え、銅山の即時営業停止と農民の救済を政府にせまりました。
1914年 東京駅開業…新橋─横浜間にわが国はじめての鉄道が敷かれて以来、東京では新橋が始発駅でしたが、この日東京駅の開場式が行なわれ、東海道本線と電車駅の始発駅は、東京駅となりました。
1956年 国際連合に加盟…国際連合の総会が開かれ、満場一致で日本の国連加盟を承認し、80番目の加盟国になりました。1933年に国際連盟を脱退してから23年目にして、ようやく国際社会に復帰しました。