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「農画工」 小川芋銭

今日12月17日は、農業に従事しながら、河童や天狗など架空の動物を好んで描いた日本画家・小川芋銭(おがわ うせん)が、1934年に亡くなった日です。

1868年、常陸国(茨城県)牛久藩の江戸藩邸に生れた小川芋銭(本名・茂吉)は、廃藩置県により、実家は牛久村(現・牛久市)の農家となりました。1880年ころに上京した芋銭は、丁稚奉公をしながら洋画塾に学び、やがて日本画や東洋画を独習しました。

1991年、政治家の尾崎行雄の推せんで「朝野新聞」に入社すると、第1回帝国議会のスケッチや漫画を連載して人気をえました。1893年以後は、牛久沼のほとりに移り住んで、農業に従事しながら「茨城日報」「いばらき」などの地元新聞に田園風刺漫画を掲載するようになります。1903年ころには幸徳秋水と知り合って「平民新聞」に風刺漫画を掲載したり、俳句誌「ホトトギス」の表紙画や漫画やさし絵をたくさん執筆するうち、「風刺漫画家」としてその名が知られるようになりました。1908年には、初の画集『草汁漫画』を刊行しています。

やがて農民生活を主体とした水墨画や淡水画など、本格的な日本画をめざようになり、1915年に川端龍子や平福百穂らと「珊瑚会」を結成しました。そのころから牛久沼をめぐる河童や天狗などの精霊たちを、幻想的に描いた作品を多く描くようになり、新しい画境を拓いたことが横山大観に認められ、1917年には日本美術院(院展)同人に推せんされました。

芋銭は生涯、牛久沼の田園風景を愛し、素朴で詩情あふれる作品を残したことで美術界に特異な光をはなつ日本画家として著名ですが、画号の「芋銭」は、「自分の絵が芋を買うくらいの銭(金)になれば」という思いによるものだそうです。特に河童の絵を多く残したことから「河童の芋銭」として知られ、晩年には『河童百図』を著わしています。

芋銭はまた、絵筆をとるかたわら「牛里」の号で俳人としても活動していて、野口雨情は当初、俳人としての芋銭しか知らず、新聞記者に「あの人は画家だ」と教えられ、びっくりしたというエピソードが残されています。

なお、芋銭のたくさんの作品他は、オンライン「芋銭画像探索」で見ることができます。


「12月17日にあった主なできごと」

1772年 ベートーベン誕生…『交響曲第5番』(運命)『交響曲第9番』(合唱)などの交響曲、『月光』『悲愴』などのピアノ曲のほか、管弦楽曲、歌劇、声楽曲など各方面にわたる作品を遺した、クラシック音楽史上最も偉大な作曲家の一人であるドイツの作曲家ベートーベンが生まれました。

1903年 世界初飛行…アメリカのライト兄弟は、動力をつけた飛行機で、人類ではじめて空を飛びました。

1945年 女性に参政権…衆議院議員の選挙法改正案が公布され、女性が参政権を獲得しました。翌年4月10日に行なわれた総選挙では、82名の女性立候補者のうち39名が当選をはたしました。

投稿日:2012年12月17日(月) 05:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)