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つぐみひげの王さま

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 64]

むかし、ある国にとても美しい王女がいました。今日は、その王女の結婚相手を選ぶ日です。王女と結婚したいと思う王さま、王子、公爵、伯爵、男爵ら貴族たちが一列に並ぶと、王女は、それぞれの人の前に案内されました。ところが、どの人にも難くせつけます。1人目はあんまり太っていたので「酒樽」と呼びました。つぎの人は背が高すぎると「ひょろひょろのっぽ」、3人目は背が低すぎて「ちびでぶ」、4人目は顔色が青いので「青びょうたんの死神」、5人目は顔が赤過ぎるので「とさかのオンドリ」、6番目は体が少し曲がっていたため「ストーブで乾かした生木」といいました。とりわけ、気だてのよさそうな王さまには、特にはしゃいでからかいました。あごがすこし曲がっていたからです。「あのお方は、つぐみのくちばしみたいなあごをしているわ」と叫んで笑ったので、その時からこの王さまは「つぐみひげ」という名前をつけられてしまいました。ところが年老いた王さまは、王女がみんなをさげすむばかりで、「ここには、私の相手になるような人は、ひとりもいないわ」といったことに腹を立てました。そして、(こんど、いちばん始めに城にやってきた乞食を、えり好みせずに王女の嫁にやる) と心にちかったのでした。

それから、2、3日したある日のことです。ひとりの旅芸人が、少しのお金を稼ごうとお城の門の前で歌いはじめました。王さまはそれを聞くと、「あの男をこちらに呼びなさい」といいました。さっそく、ボロボロの服を着た旅芸人は、王さまと王女の前で歌い、歌い終わると「どうか、お恵みを……」といいました。すると王さまは「歌がたいそう気にいった。ここにいる娘をおまえにあげることにする」「えっ、お姫さまを…でございますか?」「わたしはいやよ、こんな汚い人なんか」王女はさけびましたが、王さまの気持ちは変わりません。牧師が呼ばれ、王女は否応なしに旅芸人と結婚させられ、王さまは「もう、この男の妻となったのだから、わしの城にいることは許さない。この男といっしょに出ていくがよい」と、追い出しました。

こうして王女は、旅芸人と二人で森や町を歩きつづけるうち、美しい国につきました。森と湖にかこまれたりっぱなお城もあります。「ここは、どこの国なの?」「つぐみひげの王さまの国だ。この国のお妃になるお方は、幸せだろうな」それを聞くと、王女はそっと涙を隠すのでした。やがて旅芸人の小屋に着きました。「このみすぼらしい家はだれのものなの?」「これがおれとおまえの家だよ。ここでいっしょに暮らすのだ」「召し使いはどこにいるの?」「召し使いだと? ここではな、してもらいたいことはなんでも自分でやらなきゃならない。さぁ、すぐに火をおこして湯をわかし、おれの食べものをこしらえろ。おれはすっかり疲れた」でも王女は、生まれてこのかた家事などしたことがありません。しかたなく男は、どうにか自分で粗末な食事をこしらえ、床につきました。

翌朝早く、男は王女をベッドから追い出し、家事をやらせました。失敗の連続にあきれましたが、たくわえもなくなったため、男は王女にカゴを作れと、柳を切ってきました。王女はかごを作り始めましたが、かたい柳は王女のかぼそい手を刺してケガをさせました。「こりゃだめだ、それより糸を紡げ」と男はいいました。王女は糸を紡ぎはじめましたが、まもなく固い糸で柔らかい指を切ってしまい、血がしたたりおちました。「おまえは何の仕事にも向かないな。嫁にして損したよ。こんどはためしに、壺やせとものの商いをしよう。おまえは市場で品物を売るんだ」。(ああ、どうしよう。もしお父さまの国の人たちの誰かが市場に来て、私がそこで商売をしているのを見たら、どんなにばかにするだろう)と王女は思いましたが、そんなことは無駄なことで、飢え死にしたくなければ従うしかありませんでした。

ところが、初めて王女はうまくできました。王女が美しかったので人々は喜んで品物を買い、言い値でお金を払ってくれたからです。それどころかお金だけを渡して壺を置いていく人さえたくさんいました。こうして、もうけが続くかぎり二人はそれで暮らし、男は新しい品物をたくさん買いこみました。

そんなある日のことです。とつぜん、酔っぱらって馬に乗った軽騎兵が、並べた壺の間に乗り入れたため、壺はみんな粉々になって壊れてしまったのです。王女は泣きだしました。「ああ、どうなるのかしら? あの人は何ていうだろう?」家へ走り帰り、男にこの不運なできごとを話しました。「泣くのはやめろ。お前が普通の仕事ができないのはよくわかった。そこでおれは、王さまの宮殿へ行って、台所の女中の仕事はないかとたずねてみたんだ。そしたら、おまえをやとってくれる約束をしてくれた。おまえは、ただで食べさせてもらえることになったんだ」 こうして、王女は台所の女中になり、料理人の手伝いというつらくて汚い仕事をすることになりました。両方のポケットに小さな壺を入れ、残りものをそれに入れて家へ持ち帰り、これを食べて二人は暮らすようになったのです。

たまたま、王さまの長男である王子の結婚式が行われることになりました。王女は、広間の入口に立って見物しようと思いました。いよいよ灯りがともされ、ひときわりっぱな男性が入ってきました。そこらじゅうがきらびやかに輝くと、王女は、悲しい心で自分の運命を考えました。こんないやしい身分になり、ひどく貧しくなったのも、もとはといえば、自分が高慢でわがままだったことを呪ったのです。おいしいごちそうが持ち込まれ、その匂いが王女のところにもとどき、召し使いたちはときどき、ごちそうのかけらを王女のほうに投げてくれました。王女はそれを壺に入れ、家へ持ち帰ろうとしました。

そのとき、突然王子が入ってきました。ビロードと絹の服を着て首に金のくさりをかけていました。王子は、美しい女が戸口のそばに立っているのを見ると、手をつかみ、踊ろうとしました。しかし、王女は驚いてことわりました。というのは、その王子が以前、自分に求婚してきた「つぐみひげの王さま」だとわかったからです。しかし、さからってもだめでした。王子は王女を広間へ引っぱっていきました。するとポケットにぶら下げていたヒモが切れて、壺が落ち、スープが流れ出して、食べもののかけらがあたり一面に飛び散りました。みんなはこれをみると、どっと笑い声が起こりました。王女ははずかしくて、穴があった入りたいほどでした。女は戸口から飛び出して逃げようとしましたが、階段でひとりの男に追いつかれ、連れもどされました。その男をみると、やはり「つぐみひげの王さま」でした。

「こわがらなくていいよ。私は、あのひどいあばら家でいっしょに暮らしている男と同じ人間なんだ。おまえのために、変装していたのだよ。おまえの壺の間に馬を乗り入れて、こなごなにした軽騎兵も私だよ。それもこれも、おまえの高慢ちきな心を謙虚にさせ、私をあざ笑ったわがままな根性を罰するためだったんだ」といいました。

すると王女は激しく泣いて、「私はまちがっていました。あなたの妻になる資格などありません」というと、つぐみひげの王さまは、「安心しておくれ、悪い日々は過ぎたよ。さあ、私たちの結婚式を祝おう」といいました。それから侍女たちがやってきて、王女にきらびやかな服を着せました。王女の父親の王さまや家来たちもきていて、つぐみひげの王さまとの結婚を祝福したのでした。

あなたも、その場にいられたらいいなって、思いませんか。


「12月6日にあった主なできごと」

1700年 徳川光圀死去…徳川家康の孫で、「水戸黄門」の名でしたしまれた第2代水戸藩主の徳川光圀が亡くなりました。

1839年 水野忠邦の老中就任…浜松藩主だった水野忠邦が老中筆頭となりました。11代将軍家斉が亡くなると、忠邦は幕政改革「天保の改革」を行ないました。側近たちを退け、商業を独占する「株仲間」の解散、ぜいたくの禁止など、あまりに厳しい改革に民心は離れ、成功とはほど遠いものに終わりました。

投稿日:2012年12月06日(木) 05:40

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)