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三枚のお札

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 63]

昔むかし、ある山寺の小坊主が、栗ひろいに行きたくなりました。「和尚(おしょう)さん、うら山へ栗ひろいに行ってもいいですか?」小坊主が聞くと、「だめだよ、あの山には山んばがいるぞ。食われてもいいのか」と反対しました。でも、あんまり小坊主が行きたがるので、和尚さんは三枚のお札(ふだ)を渡して、「それならこれを持って行きなさい。こまったことがあったら、このお札に願をかけて使うんだよ」と、小坊主を送り出しました。

小坊主は山に入ると、あるわあるわ、食べごろの大きな栗がたくさん落ちています。小坊主が夢中で栗ひろいをしているうち、時のたつのをすっかり忘れていました。ふと気づくとあたりは暗くなっています。と、そのときです。「おや、可愛い小僧さんだこと」という声がしたので振り向くと、目の前に一人のおばあさんが立っていました。「ああ、びっくりした、山んばかと思った」「はっはっは、寺からきたのかい。わたしの家においで、栗をゆでてやろう」おばあさんが、やさしくいうので、小坊主は、安心してついていきました。

さびしげな山奥の家につくと、おばあさんは大きな鍋にたくさんの栗を入れると、グツグツゆでてくれました。「さぁ、腹いっぱいお食べ」小坊主は、お腹がいっぱになるまで食べたので眠くなって、いろりばたに横になりました。「えっへっへ、ゆっくり眠るがいい」おばあさんが、気味の悪い笑いかたをしたのも知らず、小坊主は眠ってしまいました。

夜中のことです。小坊主は、ギコギコいうもの音で、目をさましました。ふしぎに思って障子のかげからのぞいてみると、おばあさんが、月明かりのなかで、包丁をといでいるのです。おまけに、部屋の隅には、人の骨らしきものが、ゴロゴロころがっています。(やっぱり、山んばだ) あわてて、逃げようとしましたが、足がすくんで動けません。すると、「どこへ行くか、小僧」キバをむいて大きな口を開いた山んばの、恐ろしい声がきこえます。(たっ、大変だ。食われてしまう) 小坊主はとっさに、「お・おれ、ウンチがしたい!」と、いいました。「なに? ウンチだと……うむ、あれはくさくてまずいからな。仕方ない、はやく行って出してこい」山んば、小坊主の腰になわをつけて、便所に行かせてくれました。

中に入ると小坊主は、いそいでなわをほどき、それを柱に結びつけると、お札をはりつけて、「お札さん。おれの代わりに、返事をしておくれ」というと、便所の裏窓から逃げ出しました。「小坊主、ウンチはまだか?」すると、お札が答えます。「もう少し、もう少し」しばらくして、山んばがまた聞きました。「もう少し、もう少し」またしばらくして、山んばが聞きます。「もう少し、もう少し」と、同じことばかりいうので、「もうガマン出来ん! 早く出ろ!」と、便所のとびらを開けてみると、中は空っぽです。「うむむ! よくもいっぱい食わせたな。待てぇー!」山んばは大声で叫びながら、夜道を走る小坊主を追いかけました。

けれども、山んばの風のような速さには、とてもかないません。だんだん追いついてきます。そこで小坊主は、二枚目の札を取り出し、「大きな川、出てこい!」と後ろに投げました。すると、あらあら不思議、すごい流れの川が現れ、山んばは流されそうになりました。ところがさすがは山んばです。大口を開けると川の水をガブガブと飲みだしたではありませんか。またたくまに飲み干すと、また追いかけてきます。

小坊主は、三枚目の札を出すと、「火の海になれ!」といって、投げました。すると後ろで山火事のような火の海ができ、山んばを通せんぼしました。ところが、山んばはさっき飲んだ川の水を吐き出すと、またたくまに火事を消してしまい、またまた小坊主を追いかけます。小坊主は命からがらお寺にたどりつくと、和尚さんに助けを求めました。

「助けてください! 山んばです!」そのとき、和尚さんはもちを食べていました。小坊主を戸棚にかくしたとたん、山んばが飛びこんできました。「こらぁー、小僧を出せ」「はてな、どこの小僧じゃな」「うそをつくと、おまえから先に食っちゃうぞ」「ふぅーん、そうか。よし、それじゃわしと化け比べをしよう。おまえが勝ったら、食われてやろう。聞くところによると、おまえは山のように大きくなることも、豆粒のように小さくなることも出来るそうじゃな」「ああ、そうだ」「よし、では豆粒のように小さくなってくれや」「お安いご用だ」山んばはそう答えて身体を小さくすると、豆粒のように小さくなりました。和尚さんはその時、さっと山んばをもちの中に丸めこむと、ムシャムシャ食べてしまいました。

「はっはっは。ざっと、こんなもんじゃい……うん、だが腹が痛いな。ちと便所に」和尚さんが便所でウンチをすると、ウンチの中からたくさんのハエが飛び出してきました。だからね、ハエは、山んばが生まれ変って、ふえてったものなんだって。ふっふっふ。


「11月29日にあった主なできごと」

1529年 王陽明死去…儒教の流れをくむ「朱子学」に対し、日常生活の中での実践を通して人の生きるべき道をもとめる「陽明学」という学問の大きな流れを作った思想家 王陽明が亡くなりました。

1875年 同志社創立…新島襄らが京都に、キリスト教精神に基づく「良心」を建学精神に掲げ、漢学以外はすべて英語で教育するという「同志社英学校」(現・同志社大学)を創設しました。

1987年 大韓航空機爆破事件…イランのバクダッドから韓国のソウルに向かう航空機が、ミャンマー沖で爆破され、乗員・乗客115人が死亡・行方不明になりました。北朝鮮の工作員金賢姫(キムヒョンヒ)らが実行犯と判明しましたが、北朝鮮は関与を否定しているため、真相は不明のままです。

投稿日:2012年11月29日(木) 05:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)