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浮世床

「おもしろ古典落語」の96回目は、『浮世床(うきよどこ)』というお笑いの一席をお楽しみください。

江戸時代、ちょんまげというのを頭の真ん中にのっけていたころは、町内の暇な若い衆が、髪結い床に集まっては遊んでいました。床屋で遊ぶというのはおかしなものですが、ここには6畳ほどの小部屋がありまして、将棋盤に碁盤、貸本のようなものがそなえつけてあります。

ワイワイばか話の最中に、「だれだい、むこうの隅でもそもそしてんのは? やぁ、留じゃねぇか、なにしてるんだ」「講談本を読んでるんだ」「どんな講談だ?」「…えぇ、たいこやきってんだ」「太閤記じゃないのか。どういうとこ読んでる?」「あねさまの合戦」「えっ、そんな戦いってあったかなぁ?」「あの、本多と真柄の一騎打ち」「それじゃぁ、姉川の合戦じゃねぇか。そりゃ、おもしろそうだな、みんなたいくつしてるんだ、声を出して読んでくれよ」「だめ、本っていうのは黙って読むのがおもしろい」「そんな意地の悪いこといわずにさ」「じゃ、読んでやってもいいが、おれは読みにかかると、止まらなくなるぞ。立て板に水だ。同じところは二度と読まねぇ」「そうかい、それじゃ、そのつもりで聞くよ」「よーし、それじゃ始めるぞ。えー、えー、うー、うーん、まか、まか、まからから、じろふざへもんが…」

「なんだい、真柄十郎左衛門じゃねぇのか?」「そう、その十郎左衛門が、てき、てき、てきに、むか、むか、むかついて……」「おい、だれか、金だらいを持ってきてやれよ。むかついてるんだとさ」「敵にむかってだ」「ああ心配したぜ、むかってるんならわかるが、むかついてるっていうからよ」「戦なんてものは、両方の大将がむかついてはじまるもんだ……敵にむかって、一尺八寸の大太刀を……まつこうっ」「おい、松公、呼んでるぜ?」「何だよ」「今、松公って呼んだだろ」「違う。真っ向だ」一尺八寸は長くないから、大太刀は変だといわれ、これは横幅だとこじつけているうちに、向こうでは将棋が始まっています。

「おいおい、ちょっと待ってくれ」「どうかしたか?」「おれの、王さまがなくなっちまった」「ああ、そんなことか。さっき、おれが、王手飛車とりってやったら、『どっこい、そうはいくものか』っておまえの飛車が逃げたじゃねぇか、だからそのとき王さまをとったんだ」「ああそうか、油断がならねぇ…しかし、おまえの王さまは、おれがとらねぇのに、いねぇじゃねぇか」「おれのは、最初(はな)っからない。ふところへ隠してあるんだ、取られるといけねぇからな」「こんなわからねぇ将棋なんてあるもんか、もうやめだ」

「おや、この最中(さなか)にグウグウいびきをかいてる奴がいる。半公だ。よく寝てんな。こいつの寝てるざまは、どうもいい面じゃねぇな。ありゃりゃ、鼻から提灯を出したぜ……あれっ、消しゃがった、またつけたよ。祭りの夢なんか見てるな、おい半公、起きろ、おい半公」「こいつを起こすのは簡単だ。食いしん坊だから『半ちゃん、ひとつ食わねぇか?』といやぁ、すぐ目をさますよ」「そうか、…おい、半ちゃん、ひとつ食わねぇか?」「ええ、ごちそうさま」「おや、寝起きがいいね。だが、いまのはうそだ」「じゃ、おやすみ」「現金な野郎だ、いいかげんに起きろよ」「眠くて眠くて、身体がつかれてるんだ」「そんなに仕事が忙しいのか」「いやぁ、女で疲れるのはシンが弱ってね」「あれっ、変な奴を起こしちまったな、女でも出来たのか? でも、まぁいいや、みんなたいくつしてんだ、その女の話をしてくれよ」

「じつは昨日、芝居の前を通ったんだ。別に見る気はなかったんだが、看板を見てるうちに、急にのぞきたくなったんで、木戸番の若い衆に顔見知りがいたもんだから、そいつにたのんで立ち見でいいからって、一幕のぞかせてもらったんだ」「ふーん」「ひいきの音羽屋のすることにオツなとこがあったんで『音羽屋』って、声をかけた。するてぇと、4人桟敷席に女の二人連れがいて、ひとりはそうとうの年配だが、もう一人は、歳も盛りのいい女、振りかえってニッコリ笑った。おれもニッコリ。ニッコリとニッコリで四ッコリだ」「なにつまらねぇこといってるんだ」「その女がね、『音羽屋がごひいきなのですね。よろしかったらこちらの桟敷にお入りになって、声をおかけください』っていうんだ」「へえっちゃったのか、ずうずうしいやつだな」「女が、声をかけてほしい時におれの膝をつつくから、そのたびに『音羽屋』『音羽屋』ってほめた。女は大喜びでね、もっと大きな声でっていうから、これ以上出ない声をはりあげて『音羽屋!』『音羽屋!!』『お・と・わ・や!!』」「うるせぇな、この野郎」「のべつ膝をつっくんだよ。ここが忠義のみせどころだと思ってやったからね。夢中になってると、まわりのもんが笑ってやがる。女がおれの袖を引っ張って『もう、幕が閉まりました…』」「おれもバツが悪いから『幕!!』」「ばか、幕なんぞほめるな」

「芝居のあと、茶屋の若い衆に呼ばれて、茶屋の裏ばしごをトントントンと二階へあがったんだ。ふすまを開けるってぇと、なんと、4畳半にさっきの若い女がひとりでいて、『先ほどのお礼というわけでもございませんが、一献(いっこん)さしあげたいと存じまして』っときた」「一献ってぇのは酒だな」「そーよ、ふたりで差しつ差されつしているうち、すきっ腹へ飲んだせいか、頭が痛くなってきやがった。で、『姉さん、ごちそうになった上に、こんなことをいっては申し訳けございませんが、少し頭が痛くなったので、ごめんをこうむって、失礼させていただきます』ってぇと、『同じ休むんなら、ここでお休みになったら』って、隣座敷にふとんを敷いてくれたんで、おらぁ、そこへ入って寝ちまった。そのうち、障子が開いたんで、だれかと思ったら、その女が入ってきたんだ」「ふーん、それで?」「女が枕元で、もじもじしてたが『あのー、私もお酒をいただきすぎたので、たいそう頭が痛んでなりません。休みたいと存じますが、ほかに部屋がございませんので、おふとんの端のほうにでも入れてもらえませんでしょうか?』っていうんだ」

「おーい、みんなこっちへこい。たいへんなことがはじまるぞ」「で、『ごめんあそばせ』ってんで、長い帯巻の、赤い長襦袢になって…ずうーっと……」「こんちきしょうめ、入ってきたのか?」「入ってきたとたん『半ちゃん、ひとつ食わねぇか?』って起こしゃがったのはだれだ?」「あれれ、夢かよ」

「そういう、うまい口があったら、世話してくれ」


「11月30日にあった主なできごと」

1667年 スウィフト誕生… 『ガリバー旅行記』 などを著したイギリスの風刺作家スウィフトが生まれました。

1835年 マーク・トウェーン誕生…少年文学『トムソーヤの冒険』『ハックルベリーフィンの冒険』や『王子と乞食』など、ユーモアのなかにするどい社会風刺をもりこんだ数々の作品を著したアメリカの作家マーク・トウェーンが生まれました。

1874年 チャーチル誕生…第2次世界大戦の際、イギリス首相として連合国を勝利に導くのに大きな力を発揮したチャーチルが生まれました。

投稿日:2012年11月30日(金) 05:38

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)