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「女子教育の先駆者」 津田梅子

今日12月3日は、「女子英学塾」(現・津田塾大学)を設立するなど、生涯にわたり女子教育にたずさわった津田梅子(つだ うめこ)が、1864年に生れた日です。

西洋農学者で元幕臣津田仙の子として、江戸牛込に生まれた梅子は、西洋野菜の栽培などを手がける父の影響を受けながら育ちました。父は1871年、まだ満6歳だった梅子を、開拓使次官だった黒田清隆が企画した開拓使女子留学生に応募させました。そして同年11月、梅子は5人の女子留学生のうちの最年少として、伊藤博文ら岩倉具視を団長とする欧米視察団に随行し、アメリカに渡りました。

首都ワシントン郊外にある日本弁務官書記で画家のチャールズ・ランマン夫妻に預けられた梅子は、初等・中等教育を受け、英文学のほか、ラテン語、フランス語などの語学、自然科学や心理学などを学び、1882年11月に日本へ帰国しました。このときは、日本語をすっかり忘れ、通訳が必要なほどになってしまったということです。

伊藤博文と再会した梅子は、伊藤への英語指導や通訳のため伊藤家に滞在、1885年に伊藤の推せんにより、「華族女学校」(現・学習院大学)の英語教師となりました。1888年には、訪日した留学時代の友人アリス・ベーコンに勧められて米国留学を決意し、1889年にふたたび渡米、ブリンマー・カレッジで生物学を、オズウィーゴ師範学校で教授法を学んで、1892年に帰国しました。

教育こそ天職であると考えるようになった梅子は、「華族女学校」に教授となって復帰すると、1894年には明治女学院でも講師を務め、1898年には「女子高等師範学校」(現・お茶ノ水女子大)教授を兼任しました。やがて、1899年に高等女学校令、私立学校令が公布されて女子教育への機運が高まると、1900年、すべての職を辞して、「女子英学塾」を開校して、塾長になりました。

この塾は、日本で初めての女子専門教育機関で、英語教育を通じて女性の視野を広め、有能な英語教育者を養成することを目的としました。わずか10名の生徒からスタートした少数精鋭の厳しい授業は、予習をしっかり準備しないと、授業に出られないほどでした。こうして、進歩的でレベルの高い授業は評判となりましたが、資金援助は極めて小規模にとどめられ、梅子や友人のベーコンらは無報酬で奉仕しても、設立当初の経営にはつらいものがあったようです。

1903年、専門学校令が公布されて塾の基盤は整いましたが、創業期の苦労の連続に健康を損なって1919年に塾長を辞任。長期の闘病後の1929年、たくさんの人材を育て、独身を貫いた64年の生涯を閉じました。女子英学塾は1931年に「津田英語塾」となり、「津田塾大学」として正式に開校したのは、敗戦後の1948年のことでした。


「12月3日にあった主なできごと」

1552年 ザビエル死去…1549年に、初めて日本へキリスト教を伝えたカトリックの宣教師ザビエルが亡くなりました。

1872年 太陽暦の実施…この日旧暦(陰暦)から新暦(太陽暦)に変わり、旧暦明治5年12月3日が、新暦明治6年1月1日となりました。日本では、7紀末以来1200年以上も陰暦が使われてきましたが、幕末から欧米諸国との交渉が始まると、太陽暦と1か月前後の差が不便になり、国際的に広く使われているグレゴリオ暦の採用が急がれていました。

1894年 スティーブンソン死去…冒険小説『宝島』によって名をなし『ジキル博士とハイド氏』『誘惑されて』など独自の文学を開いたイギリスの作家スチーブンソンが亡くなりました。

投稿日:2012年12月03日(月) 05:35

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)