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古代神話を批判した津田左右吉

今日12月4日は、大正・昭和期に活躍した日本史学者の津田左右吉(つだ そうきち)が、1961年に亡くなった日です。

1873年、岐阜県美濃加茂市に生れた津田左右吉は、1891年に東京専門学校(のちの早稲田大)を卒業後、中学教師をつとめるかたわら、東洋史学者白鳥庫吉(しらとり くらきち)の指導を受け、満州(中国東北部)や朝鮮の歴史や地理の研究をし、1901年には『新撰東洋史』を刊行しました。

1908年、満州鉄道(満鉄)東京支社の地理歴史調査室研究員になって研究生活に入った津田は、1913年『神代史の新しい研究』、1917年『文学に現われたる我が国民思想の研究』を刊行。1918年には母校の講師に就任して東洋史、東洋哲学を教えました。1919年には『古事記及び日本書紀の新研究』 を発表すると、1920年には早稲田大学教授となり、1924年には『神代史の研究』を発表しました。

これらの著書を通して、『古事記』や『日本書紀』を、自由な立場で科学的に研究、分析して大胆な批判を加えました。特に注目されるのは、日本の神話が、天皇による支配を正当化するために創られたこと、初代の神武天皇から14代の仲哀天皇までの天皇は実在しないことを明らかにしました。

しかし1939年、ファッシズムの台頭により「天皇の政治を批判し、天皇家を侮辱したことは不敬罪にあたる」とされ、政府は1940年2月に『古事記及び日本書紀の研究』『神代史の研究』『日本上代史研究』『上代日本の社会及思想』の4冊を発売禁止の処分にしたばかりか、津田は大学教授を辞職させられ、出版元岩波書店社長の岩波茂雄とともに出版法違反で起訴されてしまいました(津田左右吉事件)。だだし、刊行から年月が経ていたため、時効により実刑はまぬがれました。

敗戦後の津田は、熱狂的に学界に迎えられ、神話(皇国史観)を否定する「津田史観」は歴史学の主流となり、敗戦による価値観の転換を体現する歴史学者の代表とされるようになりました。戦後の共産主義の流行には批判的で、1946年に雑誌『世界』に論文「建国の事情と万世一系の思想」を発表し、「天皇制は時勢に応じて変化しており、民主主義と天皇制は矛盾しない」と天皇制維持を論じました。天皇制廃止論者たちからは「津田は戦前の思想から変節した」と批判されましたが、「天皇制を立憲君主制に発展させるべき」との考え方は戦前から一貫したもので、戦後になって変化したわけではないと語っています。

なお、津田の研究は、日本思想史、中国思想史、日本以外に中国の古典の文献的批判などの領域においても多くの論文を著わし、独創的な業績を残しています。1949年には、長年にわたる歴史研究が評価され文化勲章を受章しました。

オンライン図書館「青空文庫」では、「建国の事情と万世一系の思想」など、9編の論文を読むことができます。


「12月4日にあった主なできごと」

1027年 藤原道長死去…平安時代中期の貴族で、天皇にかわって摂政や関白が政治をおこなう「摂関政治」を独占。藤原氏の全盛期を生きた藤原道長が亡くなりました。

1722年 小石川養生所設立…江戸幕府は、貧しい病人のための無料の医療施設として、現在も文京区にある小石川植物園内に小石川養生所を設立しました。第8代将軍徳川吉宗と江戸町奉行の大岡忠相が主導した「享保の改革」における下層民対策のひとつで、町医者の小川笙船が、将軍への訴えを目的に設置された「目安箱」に投書したのがきっかけでした。幕末まで140年あまりも、江戸の貧民救済施設として機能したといわれます。この診療所の様子は、山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』や、この原作をもとに黒沢明が映画化した『赤ひげ』でも知られています。

1890年 血清療法…ドイツの細菌学者コッホのもとへ留学していた北里柴三郎は、破傷風とジフテリアの免疫血清療法を発見したことを発表しました。

投稿日:2012年12月04日(火) 05:55

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)