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木竜(もくりゅう)うるし

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 61]

むかしある山里に、深い森の中へ入って漆(うるし)を採り、それを売ることで暮しを立てている兄弟がいました。漆は、漆の木に鎌(かま)で傷をつけて、そこからしみ出る漆を木のへらなどでかきあつめて採るのです。この漆を、木でこしらえたお盆やお椀などに塗ると、とてもきれいで長持ちするため、漆はよい値段で売ることができました。でも、漆の木には限りがあります。だんだん採れなくなって、生活が苦しくなってきました。

ある日、兄はこれまで行ったことのない山奥へはいっていくと、谷川の淵へ出ました。霧のこもった淵は、滝からすこし下がったところにあって、そこだけが水が流れず、深くたまっているようでした。兄は淵のへりをひょいひょい渡っているうちに、うっかり鎌を落としてしまいました。「しまった、こいつはこまったぞ」でも、山で育ち、川で泳ぎ、身体に自信のある兄は、すぐに裸になって水に飛び込んで、鎌を探しに青々とした淵の底へもぐっていきました。

「や・や・や!…これはどうしたことだ」鎌が落ちていた底には、何かトロリとしたきみょうなものがたまっています。「もしや、漆では……」兄は、そのトロリとしたものをすくい採ると、水面に浮かび上がりました。「まちがいない、しかも、つやといい、ねばりといい、こんなできのよい漆は見たことがないぞ。そうか、このあたりは漆の木がたくさんあるな。漆の木の汁が雨で谷川に流れて、この淵にだんだんたまっていったんだ。漆はくさったりしないから、こうして残っていたにちがいない」考えているうち、うれしさがこみあげてきました。思った通り、町に持っていくと、品質のもっとも良い「上漆(じょううるし)」といわれて、たいそうなお金を手にすることができました。「わぁ、これさえあれば、わしは一生、ラクして暮らせるぞ。わっはっはっはっ…」

その日から、兄はまるで人が変わったように昼間から酒を飲み出し、ぶらぶら暮しはじめました。「おかしいな、兄さんは、いつもいっしょに漆採りをしてたのに、このごろは、わしに隠れて山へ行く。それに、近ごろは、ずいぶん漆でもうけているようだ。何かわけがあるはずだ」そう思った弟は、どこで漆をみつけたのか尋ねますが、兄は決して教えようとしません。そこで弟は、兄の後をつけることにしました。そうとは知らない兄は、いつものように淵へやってきてもぐり、両手にたっぷり漆をとって浮かんできました。岩かげからようすを見ていた弟は、「そうか、漆は、ここにあったのか。自然にたまった漆だ、誰がとろうと文句はあるまい。ようーし、兄さんがいない間に、わしもとろう」こうして、弟も淵の上漆を採るようになり、兄と同じように山に入ることを忘れて、ぶらぶら暮らすようになりました。
 
さて、弟のようすが変わったことで、淵の漆を採っていることに気づいた兄は、おもしろくありません。考えに考えたすえに兄は、大きな木彫りの竜の像を、彫り物師にこしらえてもらうことにしました。こうして完成したホンモノそっくりの竜を谷川の近くまで運ぶと、兄は淵の底に沈めました。滝の近くなので、竜の長いからだは、水の力でのたうちまわったようにみえます。おまけに目は金や銀にかがやき、今にもかみついてきそうです。

そのよく朝のこと。弟が淵に漆を採りにもぐると、兄の沈めた竜の像に驚いて、いちもくさんに逃げ出しました。これを見ていた兄は「大成功だ、これで独り占めできるぞ」と、にやりと笑いながら淵にもぐります。ところが、その木彫りの竜が、動き出して兄に襲いかかってきました。「こ、こりゃどうしたことだ。そんなばかな、気の迷いだ」竜に構わず漆をとろうとすると、ガォーッ、ガォーッと火のような舌をだして、漆をとらせません。兄は、はっとしました。でも、すぐに思い直しました。「なかなかの出来ばえだ、まるでホンモノそっくりだ」ところがその時…、大きな真っ赤な口をあけて、いきなり兄を飲み込もうとするではありませんか。木彫りの竜は、いつのまにか何倍もの大きさになって、魂が入っていたのです。「ひゃーっ!」 兄はびっくりぎょうてん、「た、助けてくれーっ」と叫び声をあげながら、命からがら逃げ出しました。

淵に沈んだ漆は、もうその後は、だれも採ることができませんでした。


「11月8日にあった主なできごと」

1895年 エックス線発見…ドイツの物理学者レントゲンが、実験中になぞの放射線を発見し「]線」と名づけました。]線に感光するフィルムを使って撮影した写真(レントゲン写真)は、肺など身体の内部をうつして診察に役立たれています。

投稿日:2012年11月08日(木) 05:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)