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十徳

「おもしろ古典落語」の93回目は、『十徳(じっとく)』というお笑いの一席をお楽しみください。

「こんちは、ご隠居さん。教えてください」「何だい、八っつぁん、いきなり『教えてくれ』ってぇのは?」「実はさっき、あっしは床屋でみんなと馬鹿っ話をしてたんですが、ご隠居さん、店の前を通って行きましたよね」「たしかに、用足しの戻り道だったからな」「そのとき、妙なものを着てましたよね。あっ、その後ろの壁にかかってる、あれです」「ああ、確かにこれを着てましたよ」「みんなが見てまして、『ご隠居の着ている妙ちくりんな着物は何てぇんだろう』ってことになりましてね。ところが誰もわからねぇんです。あっしも知らねぇもんですから、そーっとぬけだしまして、こちらに来たってわけなんです。あっしにだけ教えて下さい。で、床屋へもどって『あれはこういうもんだ』って自慢してやろうと思ってね」

「若い者が知らないのは無理もない。茶人や俳人が良く着るという『十徳』だ」「『十徳』っていうんですか、どんなわけで、そんな名がついたんですか」「うーん、それはわからないが、強いて理屈をこねると、わしがこれを着て立ち上がると、衣の如(ごと)く。座ると羽織の如くだ。如く(五徳)如く(五徳)で十徳だ」「なーるほど。こいつをみんなの前でやってみます」「おいおい、およしよ、これはこじつけなんだから」「いいえ、構いません。どうせ誰も知らねぇんだから…」

「みんな、まだいるか」「どうしたんだ、いつの間にかいなくなったな、どこへ行ってた?」「利口になってきたのさ、ご存じか? さっきご隠居さんが通っていった時に着ていたものを」「そいつは、誰も知らなかったじゃねぇか」「ところが、おれは知っていた。『十徳』よ 」「ああ、そうかい」「ここでだ、『どういうわけで十徳なの?』って聞いてみてくれ」「やだよ」「そんなこといわずに、聞いてくれよ」「じゃ、どういうわけで『十徳なんだ』」「あれを立って着てると、衣のようだ。ところが、座ると羽織のようだな。で、よう(四)だとよう(四)だで『や(八)〜だ』」「やなら、よしなよ」「ちょっと待ってくれよ。あれれ、二つ足りなくなっちまった…

立ったところを見ると、衣…みてぇ…」「うん、衣みたいだ」「座ったところ見ると、羽織みてぇ」「うんうん、羽織みてぇか」「み(三)てぇ、み(三)てぇで、む(六)てぇよ」「なんだい、むてぇってのは、眠てぇのか」「ちょっと待ってくれ、だんだん足りなくなっちまったな」「どうしたんだよ」

「立ったところを見ると、衣に似たりよ」「なるほど、今度は、衣に似たりか」「座ったところは、羽織に似たりよ」「羽織に似たりか」「似(二)たり、似(二)たりで」「どうしたい?」

「うーん、こいつはし(四)たり」


「11月9日にあった主なできごと」

1872年 太陽暦の採用…明治政府は、西欧の国ぐにならって太陽暦を採用しました。具体的には、明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることで、太陽暦(新暦)に切りかわりました。これまでの日本の暦は、月の満ち干の周期をもとにした太陰暦(旧暦)が使われていました。

1876年 野口英世誕生…黄熱病・梅毒・狂犬病・蛇毒などの細菌の研究に、大きな成果をあげた野口英世が誕生しました。

1970年 ド・ゴール死去…フランス建国史上最も偉大な指導者のひとりと評価されている政治家ド・ゴールが亡くなりました。

1989年 ベルリンの壁崩壊…第2次世界大戦に敗れたドイツの首都だったベルリンは、ソ連を中心とする社会主義国が管理する「東ベルリン」と、アメリカ、イギリス、フランスなどの資本主義国の管理する「西ベルリン」に分断されました。さらに1949年には、ドイツという国も社会主義国の「東ドイツ」と、資本主義国の「西ドイツ」の2つに分かれてしまいました。1961年8月に作られた壁のために、行き来のできなくなった東西ベルリンでしたが、この日東ドイツ政府は通行を認めると発表。東西ドイツをへだてる象徴だった「ベルリンの壁」の崩壊がはじまりました。こうして、翌1990年10月3日にドイツは統一されました。

投稿日:2012年11月09日(金) 05:36

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)