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「清」末の外交をリードした李鴻章

今日11月7日は、中国・清の政治家で、「日清戦争」の講和条約(下関条約)の全権大使として調印を行った李鴻章(り こうしょう)が、1901年に亡くなった日です。

1823年安徽(あんき)省の合肥に生れた李鴻章は、1847年、科挙の最終合格者である「進士」になりました。1853年に太平天国の乱(キリスト教の信仰をもとに洪秀全を天王とし、清王朝を倒して漢民族の王朝を復興させようと起こした反乱) が広まったことで郷里にもどり、団練という自衛軍を組織して太平天国軍と戦いました。

やがて、師とうやまう曽国藩のもとで軍務につき、1862年には曽国藩の推せんで江蘇地区の役人となって民間の義勇軍を率いて、上海防衛に功績をあげ、1863年から1864年にかけて蘇州や常州を奪回しました。さらに、太平天国鎮圧後におこった秘密結社「捻軍(ねんぐん)」をも鎮圧する功績を上げ、1870年には、曽国藩の後継として直隷総督、北洋大臣に就任しました。こうして以後25年にわたり、この地位を保ち、清朝の重臣筆頭として西太后の厚い信任を得ました。

その間、「洋務運動」という、清朝の支配を守るために西洋の軍事科学技術を摂取し、富国強兵をめざしました。特に李鴻章の率いる「准軍(わいぐん)」は近代武装され、清朝最強の陸軍となり、有能な人材を育てて清末の外交を独占するほどでした。

しかし1894年、李氏朝鮮に対する主権をめぐって清と日本が対立した際、李鴻章は洋務運動の成果がまだあがっていないと開戦には反対の立場を取りましたが、両国の主戦派によって「日清戦争」の火ぶたが落とされました。そして敗戦後の講和交渉で全権を任された李鴻章は1895年3月に下関で開かれた講和会議の交渉を行い、4月に日清講和条約(下関条約)の調印を行ったのでした。そしてこの敗戦によって、30年もつづいた洋務運動は挫折を余儀なくされました。

その後李鴻章は、その地位は追われましたが、政治への影響力は持ち続け、特に外交問題には大きな役割を演じ続け、1900年に起こった義和団事件の際には再び全権を任されて諸外国との交渉に当たり、1901年9月に辛丑(しんちゅう)条約を締結を最後の仕事とし、まもなく病死したのでした。


「11月7日にあった主なできごと」

1336年 室町幕府始まる…足利尊氏が政治方針を示した「建武式目」を制定し、室町幕府が成立しました。光明天皇(北朝)を立て、政権を握った尊氏は、後醍醐天皇(南朝)を吉野に追いやったため、南北朝が対立することになりました。

1867年 キュリー夫人誕生…ラジュームを発見して夫ピエールと共にノーベル物理学賞をもらい、夫の死後ラジュームの分離に成功してノーベル化学賞をえて、2度もノーベル賞を受賞した女性科学者のマリー・キュリーが生れました。

投稿日:2012年11月07日(水) 05:06

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)