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人間の寿命

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 59]

むかしむかし、この世をつくった神さまが、それぞれの生き物たちの寿命を何年にするかを考えていました。そこへ、ロバがやってきたので、神さまはロバにたずねました。「おまえの寿命を、30年にしたいが、どうじゃな」 「いいえ、神さま、30年は長すぎます。わたしのつらい生活をお考えください。わたしは朝から晩まで重い荷物を運んだり、他人がパンをたべるための麦の入った袋を水車場まで引っぱっていかなくてはなりません。それなのに、ぶたれたり蹴られたりして、働け働けってせきたてられるばかりなんです。どうか寿命を、もう少しおへらしください」……と。そこで神さまは、ロバの寿命を18年にしました。ロバがほっとして立ち去ると、こんどはイヌがやってきました。

「今、生き物の寿命を考えているのだが、おまえはどのくらい生きたいかな? ロバは30年では長すぎるといったが、おまえはそれでよかろう」するとイヌは、こう答えました。「神さま、わたしがどんなに走らなくてはならないかをお考えください。それなのにわたしの足は、30年も走れるほど丈夫ではございません。それに歯も、10年やそこらで抜けてしまいます。走ることできず、かみつく歯もぬけてしまっては、部屋のあちらの隅からこちらの隅までウーウーうなるほかありません」「なるほどな」そこで神さまは、イヌの寿命を12年にしました。

イヌが帰ると、次にサルがやってきました。「今、生き物の寿命を考えているのだが、おまえはどのくらい生きたいかな? ロバやイヌは30年は長すぎるといったが、おまえはロバやイヌのように働く必要がないせいか、いつも陽気だ。30年は生きたいだろう」「いいえ、神さま、そう見えるだけのことでございます。わたしの人生は、いつも人を笑わすためにおかしなイタズラをしたり、変な顔をしたりしなくてはなりません。そのくせ、人からリンゴをもらって食べてみるとすっぱかったり、いつも泣き笑いというふうなんです。ふざけているかげでは、どんなに哀しい思いをしているかわかりません。30年なんて、まっぴらでございます」「なるほど」そこで神さまは、お慈悲をもってサルの寿命を10年にしました。

それから、人間がやって来ました。「今、生き物の寿命を考えているのだが、おまえはどのくらい生きたいかね? ロバもイヌもサルも30年は長すぎるといったが、おまえは30年でかまわないね」ところが、人間はがっかりして答えました。「30年とは、なんて短い寿命でしょう。やっと自分の家をたて、自分のかまどで火をたくようになって、これから人生を楽しもうという時に、なぜ死ななくてはならないのでしょう。お願いです。もっと寿命をお伸ばしください」「そうか、ではロバの分の18年をたしてやろう」と、神さまはいいました。

「18年たしても、たったの48年です。それではたりません」「ではイヌの分の12年も、たしてやろう」「12年いただいても、たったの60年です。まだまだ、少なすぎます」「よし、それではサルの分の10年もたしてやろう。もうこれ以上はやれないよ」神さまはそういうと、人間を帰らせました。

こんなわけで、人間の寿命は70年となりました。はじめの30年は、人間が元から持っている寿命です。人間はその30年間に、子どもをつくって家をたて、元気で人生を楽しみます。次に来るのが、ロバの18年です。この18年間は、いろいろな重荷を背負わされ、打ったり蹴られたりして、いっしょうけんめい働かなくてはなりません。そして次に、イヌの12年がやってきます。この頃になると足腰が弱くなり、歯も抜けていき、隅っこにころがってうなっています。そして最後に来るのが、サルの10年です。その頃はだんだんと頭がにぶくなり、笑われるつもりはなくても、へんてこりんなことをして、子どもたちの笑いものになります。

このお話は、ドイツに伝わる昔話をグリム兄弟が収集してまとめた約200編の中のひとつです。あなたは今、元からもらった人間の時代? ロバの時代? イヌの時代? それともサルの時代かな? ちなみに私は最近、すべての時代を使い果たしました。ということは、おまけの時代に入ったということかな? 


「10月24日にあった主なできごと」

1708年 関孝和死去…江戸時代前期の数学者で、「和算」とよばれる数学の理論を世界的なレベルまで発展させた関孝和が亡くなりました。

1929年 暗黒の木曜日…アメリカのニューヨークにある株式市場で、株が史上最大の暴落をしました。その日が木曜日だったため「暗黒の木曜日」といわれています。5日後にもまた値下がりが続き、わずか2週間ほどで株価が半分以下となって、アメリカ経済は大混乱となりました。多くの人が財産を失い、失業者があふれ、自殺者もでる騒ぎになりました。こうしてアメリカではじまった大恐慌は、全世界をまきこむ「世界恐慌」へつながっていきました。

投稿日:2012年10月24日(水) 05:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)