今日10月25日は、『ヒロシマ』『筑豊のこどもたち』『古寺巡礼』などの写真集を著わし、戦後の日本を代表する写真家として活躍した土門拳(どもん けん)が、1909年に生れた日です。
山形県の酒田市に生まれた土門拳は、7歳のときに一家で東京へ移住しました。旧制中学在学中は考古学者や画家をめざしましたが、卒業後は逓信省の役人となりました。反骨精神旺盛だった土門は、1932年に農民運動に参加し検挙されてしまいます。1933年、宮内幸太の写真館に住みこんで働くうち、ここにある書庫のカメラ雑誌や写真集を見て、写真の基礎を学びました。1935年には写真家名取洋之助の「日本工房」に写真技師として入社し、報道写真の技術や精神を身につけて、写真家として立つことを決意しました。
ただ土門は考古学に憧れていて、当初から古いものを撮ろうとしていました。古いものは「新しい日本」ではないのかと問い続け、いつも建っている寺の門、昔からの仏像や壷、舞台で次々に動いていく文楽、雨が落ちる社の屋根、庭の苔や誰も上り下りしていない石段……等々、ここにはどんなニュースもないにもかかわらず土門はこれらを撮りつづけました。1943年、第1回アルス写真文化賞を受賞した作品を見た詩人の高村光太郎は、「土門の作品は不気味である。土門のレンズは人や物を底まであばく」と評しています。
戦後は、「リアリズム写真運動」を主唱し、カメラ雑誌の審査員をしながら、アマチュア写真家たちに大きな影響を与えました。特に、原爆で心と身体に障害を負った子どもたちを撮った写真集『ヒロシマ』(1958年)、閉山となった筑豊炭田の子どもたちを撮った写真集『筑豊のこどもたち』(1960年)の二つのドキュメンタリー写真集は、現実を厳しく見つめる作品として、大反響をひきおこして、土門の名は全国に広がりました。
さらに土門は、古典芸術にも心を傾け、15年以上にもわたって寺や仏像を記録した『古寺巡礼』は、1971年に菊池寛賞を受賞しています。1983年、生地の酒田に日本の写真家として初めての写真美術館「土門拳記念館」が開設され、「怒りの土門」「ねばりの土門」、晩年は「鬼の土門」と呼ばれ、1990年に亡くなった土門の作品の数々が一般公開されています。
なお、ネットで公開されている「土門拳画像検索」では、土門の作品、著書、記念館など、土門にかかわりのあるたくさんの写真を見ることができます。
「10月25日にあった主なできごと」
1637年 島原の乱…島原・天草地方のキリシタンの農民たち37000人が、藩主の厳しい年貢の取立てとキリシタンへの弾圧を強めたことから、少年 天草四郎 を大将に一揆を起こしました。3か月余り島原の原城に籠城して抵抗しました。
1825年 ヨハンシュトラウス誕生…ウインナーワルツの代表曲として有名な『美しき青きドナウ』『ウィーンの森の物語』『春の声』など168曲のワルツを作曲したオーストリアの作曲家 ヨハンシュトラウス(2世) が生まれました。
1838年 ビゼー誕生…歌劇『カルメン』『アルルの女』『真珠採り』などを作曲したフランスの作曲家 ビゼー が生まれました。
1881年 ピカソ誕生…画家であり、彫刻家であり、また歴史家、詩人、学者でもあった情熱的芸術家 ピカソ が生まれました。