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「たしかにそう」

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 54]

むかし、悪がしこい手品師がいました。ある日、オウムを使った手品を思いつきました。オウムに人が話しかけると、「たしかにそう」と返事をするように教えこんで、町の人をだまそうと考えたのです。

オウムに「たしかにそう」と覚えこませると、さっそく手品師は町へでかけていき、見物人が集まるのを待って、オウムに尋ねました。「このへんに、お金か宝物がありそうだが、どうかな?」

するとオウムは、「たしかにそう」と答えます。そこで、見物人たちの足もとを掘ると、ほんとうにお金が出てきました。先にこっそり、お金をうめておいたのですから、あたり前です。

やがて、手品師が帰ろうとすると、一人の男が追いかけてきました。オウムを10万円でゆずってくれというのです。手品師は、もったいぶって、「これは、特別な能力を持ったオウムなので、とても10万円というわけにはいきません」「それじゃ、20万円。いや、30万円で売ってくれ」。手品師は、内心はうれしくてしかたがないのに、お金と引き換えに、しぶしぶ男にオウムを渡しました。

喜んだ男はさっそく家に帰ると、手品師がやった通りに、オウムへ話しかけました。するとオウムは、「たしかにそう」と答えます。そこで男は、胸を躍らせて地面を掘りました。ところが、何にも出てきません。なんど「たしかにそう」といわせても、同じです。

男は手品師にだまされたことに気がつきました。そして、大きな声で「おれは、何てバカなんだ」といいました。すると、オウムはいいました。

「たしかにそう」

投稿日:2008年12月10日(水) 09:13

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)