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卵裁判

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 48]

むかしある国に、ひとりの王様がいました。あるとき、王様は旅に出なくてはならなくなり、お妃を呼んでこんな恐ろしいことをいいました。「わしの留守中に、もしお前が男の子を産んだら、いつまでもこの国の王妃にしておこう。だが、女の子を産んだら、お前の首をはねる」 と。

王様が旅に出て、しばらくするとお妃は女の子を産みました。これが王様に知れたら命がありません。何とかして、自分も子どもも助かる方法はないかと考えました。ちょうどそのころ、お城の近くに住む貧しい女が、男の子を産みました。それを聞いたお妃は女に、その男の子とお妃の女の子を取りかえないか、そのかわり女の一生めんどうをみようといって、二人の赤ちゃんを交換したのでした。

そのころ、ひとりの商人が船の旅に出るしたくをしていました。商人はひとりのおばあさんに、卵を40個ゆでて船まで届けるようにと頼みました。おばあさんがゆで卵を40個とどけて商人に渡しました。ところが商人は、今にも船が出るときだったので、お金は帰ってから払うといいのこしたまま、でかけてしまいました。

それから5年たって、ようやく商人が船旅から帰ってきたので、おばあさんは卵の代金をもらいにいきました。商人が卵の代金を払おうとすると、おばあさんは5年の間にあの卵から、何羽のにわとりがかえったか、またそのヒナから何羽生まれるかを考えてから支払ってくれといいました。商人は腹をたてて、そんなことをいうなら何にも払ってやらないと、おばあさんを追い返しました。

おばあさんは、王様のところへ行って、これまどのことを残らず話し、正しいお裁きをしてほしいと訴えました。ところが、王様によい考えが浮かびません。しかたなく、じっくり考えるので、判決をいいわたすまで、商人もおばあさんもいい争いなどせず、おとなしく待つようにいいました。

こうして、3、4年が過ぎていきました。貧しい女の娘は、お城の庭に入ってきては、よく王子と遊びました。ふたりは、王様がいつもおばあさんの卵の代金のことを口にしては、困った困ったといっているのを聞いていました。そこである日、ふたりは卵裁判ごっこをしようといいました。王子が、ぼくが王様役、きみがおばあさん役になってやろうというと、娘は 「いやよ、私が王様役、あなたがおばあさん役よ」 といいました。

王子は承知しましたが、生まれは争えません。ほんとうは、女の子が王様の娘なのですからね。ちょうどその時、王様は窓辺に立って子どもたちの話を聞いていましたが、おもしろそうなので、そのまま二人の遊びを見ていました。

娘はおばあさん役の王子に尋ねます。「お前は商人に卵をいくつ渡したのだ」 「40個でございます。でも、5年間も、代金を払ってもらえませんでした。5年たって商人がもどってきましたので、代金を払ってくれと申しますと、卵40個分の代金を払おうとしました。けれども私はその代金を受け取りませんでした」 「お前は、卵の代金として、いくら望むのかな」 「卵は40個でしたが、その卵からヒナがかえり、そのヒナが卵をうみ、またその卵からヒナがかえりますので・・・」 「商人は、お前に卵を持ってこさせるとき、どんなふうに頼んだ?」 「卵を40個ゆでて、船までもってきてくれといいました」

ここで、女の子は念をおしました。「それでお前は、ゆで卵をもっていったのだな」 「はい」 「では尋ねるが、ゆで卵からヒナがかえったということを聞いたことはあるかな?」 「ございません」 「では、お前には、卵40個分の代金を請求する権利しかないことがわかったな」

王様はびっくりしました。(あの女の子は、わしが何年かかっても解けなかった問題を、みごとに解決した。あの子はいったい何者なのだろう) と思いましたが、まずは、おばあさんを呼び出して、女の子と王子のやりとりを再現しました。こうして、名裁判を終えてから王様はお妃を呼びました。

「王妃よ、ほんとうのことを聞かせておくれ。お前は、どんな子を産んだのかね。心配することはない、お前にはいつまでもこの国の王妃でいてもらうから」 「王様、あなたは女の子を産んだら、私の首をはねるとおっしゃいました。私は、女の子を産んだとき、とてもこわくなって、近くに住む貧しい女を呼びよせて、こっそり男の子をもらい、かわりに、私たちの女の子をやったのです」 「ありがとう。お前は、私が大きな罪を犯すのを救ってくれた」 と、王様はいいました。

こうして、王様は貧しい女を呼び寄せて女の子を引き取り、女に、王子として育ててきた男の子を渡しました。そして、いやがる男の子にたくさんのお金をやり、大きくなったら、そのお金で立派な商人になるようにといってきかせたのでした。

投稿日:2008年08月29日(金) 09:02

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)