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大文豪・ゲーテ

今日8月28日は、「若きウェルテルの悩み」「ファウスト」など数多くの名作を生みだし、シラーと共にドイツ古典主義文学の全盛期を築いたゲーテが、1749年に生まれた日です。

ゲーテは、歴史に残る偉大な文学者です。いつでもこまやかに人間を見つめ、作品を描きつづけました。残された詩や小説は、いまでも世界じゅうの人びとに親しまれています。

ゲーテは、ドイツの商業都市フランクフルトに生まれました。父は裕福な法律家で、母は市長の娘でした。明るい家庭でしたが、父親は、たいへんやかましい人でした。ゲーテは、毎日きびしく勉強させられたので、15歳のころには、ギリシア語、ラテン語、ヘブライ語なで7か国語の読み書きができるようになっていました。

ライプチヒの大学にすすんだゲーテは、父の強いすすめで、法律を学びました。しかし、ゲーテ自身は、法律にさほど興味がありませんでした。しばらくすると、親の目がとどかないのをさいわいに気ままにくらし始めました。不規則な生活をつづけ、ついには重い病気にかかってしまいました。やがて健康をとりもどしたゲーテは、ヘルダーという文学者に出会い、文学を見る目が初めてひらかれました。

そして、古い考え方に反抗して、あるがままの自分の感情をほとばしるように表現しました。1774年に発表したゲーテの代表作『若きウェルテルの悩み』は、失恋の心の痛手を小説にしたものです。新鮮な作品に感動した若者たちが、しだいにゲーテのまわりに集まるようになりました。

26歳の時、ゲーテは、ドイツ中部にあるワイマール公国にまねかれました。突然のことでした。ゲーテは、ワイマールで高い地位をあたえられ、一生この地に住みつづけました。本を読み、作品を書くだけではなく、政治にもたずさわり、忙しい生活でした。しかも、ゲーテは、しばしば恋愛をしました。ある時は、すでに結婚している女性を好きになってしまい、1500通もの手紙を送りつづけたほどでした。でも年をとるとともに、若いころのはげしい性格に、豊かさをくわえ、落ち着いた円満な人間になりました。そして、人生や世界を深くとらえた名作『ファウスト』を生み出しました。

ゲーテは、大文学者として名を高めましたが、それと同時にその純粋な人がらが、おおくの人に尊敬され、したわれました。なかでも詩人シラーとの美しい友情は、あまりにも有名です。文学によって、人間の愛と真実を語り、政治や科学の方面にも活躍したその生涯は、迷い、苦しみ、悩みの連続でした。

1832年、82歳のゲーテは「もっと光を……」という言葉を最期に、この世を去りました。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 7巻「ワシントン・ペスタロッチ・ジェンナー」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

「8月28日にあった主なできごと」

785年 日本の3大和歌集のひとつで、さまざまな身分の人が詠んだ歌を4500首以上も集めた「万葉集」を編纂した歌人大伴家持(おおとものやかもち)が亡くなりました。

1583年 豊臣秀吉が「大坂(大阪)城」を築きました。秀吉の死後は遺児・豊臣秀頼が城に留まりましたが、1615年の大阪夏の陣で落城し、豊臣氏は滅亡しました。

1945年 連合国総司令部(GHQ)の先遣部隊が、厚木飛行場に到着しました。第2次世界大戦に敗れてポツダム宣言を受け入れた日本は、9月から1952年4月まで、6年9か月間占領され、GHQ(最高司令官マッカーサー)による間接統治が行なわれました。

1953年 日本初の民放テレビとして「日本テレビ」が放送を開始しました。当時は受像機の台数が少なく、人気番組のプロレス中継・ボクシング中継・大相撲中継には、街頭テレビに観衆が殺到し、黒山のような人だかりになりました。

投稿日:2008年08月28日(木) 09:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)