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地獄からもどった男たち

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 36]

昔、評判のよかった手品師がいましたが、死んでしまいました。人は死ぬと、冥土の旅に出かけなくてはなりません。手品師はその旅のとちゅうに、やはり生きているころ、腕のよかった歯医者と、かじ屋に出会いました。かじ屋というのは、金属を打ちきたえて、物をこしらえる人です。

3人は 「よい連れができましたね。いっしょに、エンマ様のところへ行きましょう」 ということになって、三途の川をわたりました。まもなく鬼につかまえられて、エンマ様の前に連れてこられました。

「お前たちは、生きていた頃、いろいろ人をだまして金もうけをしてきた。だから、地獄行き!」 といいます。3人は 「そりゃ金もうけはさせてもらいましたけど、たくさんの人に喜んでもらって、良いことをしてきたつもりです。どうぞ、極楽へ」 と抗議しました。でも、エンマ様は聞き入れてくれず 「地獄の釜の中にほうりこんで、煮てしまえ!」 と、赤鬼と青鬼に命じました。しかたなく3人は、力をあわせて頑張ろうと誓いあいました。

鬼たちは、ぐらぐら煮えたった大釜のところへ3人を連れてくると、手品師は 「私を先に」 といいました。鬼たちはまず、手品師を大釜へ投げこみました。すると手品師は、術を使って、煮えくりかえっているお湯をお風呂のお湯くらいに変えてしまいました。歯医者とかじ屋も大釜の中へ。でも、いいあんばいのお湯です。「地獄にいながら、こりゃ極楽だぁ」 と、手ぬぐいで顔や手を洗ったりしています。

「エンマ様、あいつら ♪いい湯だな、なんて歌ってます」 エンマ様は 「それじゃ、針の山へのぼらせろ!」 と鬼たちに命じ、3人は大釜から出されて、針の山へ引き上げられました。かじ屋はその間に、鬼の金棒を、さっと靴3足にこしらえてしまいました。そして、金棒の靴をはいた3人は、ふつうの山のように、針の山を上ったり下ったりして遊んでいます。

鬼たちから様子を聞いたエンマ様は、かんかんに怒って、こんどは赤鬼に 「3人とも食っちまえ! 」 と命令しました。すると歯医者は、さっと赤鬼の口の中に入り、道具を出して、鬼の歯をみんなぬいてしまいました。歯のなくなった赤鬼は、3人を丸のみします。

お腹の中の3人は、赤鬼の笑うスジを見つけて、引っぱりました。すると鬼は、ワッハッハッハ…、と大笑い。こんどは泣くスジを引っぱると、エーンエーン…と泣き出します。これは面白いとばかり、笑うスジ、泣くスジ…と何度も何度も交互に引っぱりました。赤鬼は苦しそうにのたうちまわります。それから3人は、こんどはくしゃみのスジを見つけて、力いっぱい引っぱりました。すると 「ハックション!」 大きなくしゃみとともに3人は、鬼の口から飛び出しました。そばに、赤鬼がドテーンとのびています。

この様子を見たエンマ様は 「まったく手に負えないやつらだ。こんなやつらにかまっていたら、仕事が滞ってしまう。すぐに娑婆(しゃば)へ送り返してしまえ!」 といいました。

こうして3人は、この世にもどってきました。あう人ごとに、地獄見物のみやげ話を、自慢げに語っていたということです。

投稿日:2008年03月05日(水) 10:30

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)