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小僧の 「正夢」

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 28]

むかしあるところに、殿様のところで働く若者がいました。いつも灰だらけになっているので 「灰ぼう」 とよばれていました。

正月の2日、灰ぼうはとってもいい夢を見たので 「ああ、夕べの夢はよかったなぁ」 とつぶやきました。それを聞きつけた者が、殿様に伝えたところ、殿様は灰ぼうを呼んで、こういいました。「そんなにいい夢なら、どうだ、その夢をわしに売ってくれないか」 といったところ、「いくら殿様でも、これだけは売れません」 と灰ぼう。

これを聞いた殿様は、かんかんになっておこり 「わしが下手に出てりゃいい気になっておって、お前は島流しじゃ」 と、家来に命じました。灰ぼうは木箱に入れられ、海に投げこまれました。

灰ぼうの入った木箱は、波にゆられて何日も海を流れていましたが、やがて鬼の住む島に流れ着きました。鬼の島の子どもたちに引き上げられ、親分のところに連れてこられました。「なかなかうまそうな人間だな。で、どういうわけでこんなところに流されてきた」 とたずねました。

そこで、灰ぼうは夢の話をすると、「そんないい夢なら、オレにその夢を売ってくれ」 といいます。「そればかりはダメだ」 「それなら、オレの宝物と交換しよう。ひとつは [死に針] といって、生きているものにこいつを刺すと死んでしまう。もうひとつは [生き針] といって、死んだものに刺すと生き返る。残りのひとつは [千里車] といって、千里もほんのひとっ飛びだ」

灰ぼうは、鬼の親分が3つの宝物を持ってくると 「それでは試してみよう」 と、死に針を手にして鬼の親分の腕に刺しました。すると、鬼の親分はコロリと死んでしまいました。それから灰ぼうは、千里車に飛び乗って 「千里飛べ」 というと、いつのまにか、あるお堂の前にいました。お堂の中でゴロ寝をしていると、そのうち何やら騒がしい話し声がきこえます。戸のすき間からのぞくと、村の年寄りたちが大勢お参りにきていて 「ああ、かわいそうに長者さまの17歳になる娘が死んでしまった」 と、手をあわせて泣いています。

灰ぼうは、これは自分の出番がきたと思って、長者の家の前にいき 「死んだものを生き返らせる日本一のお医者様だー、死んだ者をはいないかぁー」 と叫びました。すると、長者がとびだしてきて、「ささ、娘が生き返れば、あなた様に何でもさしあげます」 といいます。

娘の前に通された灰ぼうは、「それではちょっと、席をはずしてくれませんか」 といって、ふところから生き針をとりだして、娘の腕にチクリと刺しました。とたんに娘は大あくびをして、ぱっちり目を開け 「かあさん、おなかがへったー」 と叫びました。

長者もお母さんも、家のみんなもびっくりして 「死んだ者を生き返らせるとは、こりゃ日本一のお医者様だぁ」 と叫びました。長者は 「どうか、娘のむこになってほしい」 と頭をたたみにこすりつけて、灰ぼうにたのんだのでした。

そうです。灰ぼうの見た夢そっくりそのままの 「正夢」 だったのです。

投稿日:2008年01月09日(水) 09:28

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)