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レオナルド・ダ・ビンチ 「モナリザ」

私の好きな名画・気になる名画 4

名画を語る場合、レオナルド・ダ・ビンチの「モナリザ」を、欠かすことができません。世界一有名な絵といってもさしつかえないほどです。でも、この絵が描かれた年、場所、モデルの名前さえ、正確にわかっておりません。タイトルの「モナリザ」というのも、本人がつけたものでなく、後に、16世紀の伝記作家バザーリという人が著書の中で、モデルはフィレンツェの名士フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザで、女性に対する尊称「モナ」を付けて命名したということです。そのため、モデル説は実にさまざまです。

monariza.bmp

一例をあげますと、画家晩年の肖像画とモナリザの目・鼻・肩の位置がほぼ同じ比例で描かれているため、本人をモデルに理想の美女をえがいたという説。レオナルドの描いた肖像画デッサンで、横顔がとてもよく似ているマントバ公妃イザベラ・ディスケ説。パトロンだったジュリアーノ・デ・メディチの愛人説、レオナルドの生後すぐに別れた実母説などで、ごく最近でも美術評論家の高草茂氏は「モナリザは聖母マリア」(ランダムハウス講談社刊・6月15日ブログ参照)を著わし、聖母マリア説をとなえています。

いずれにしても「モナリザ」が、神秘的で気品にみちた表情、微笑んでいるようにも、悲しんでいるようにもみえる不思議な魅力に、500年たった今も、たくさんの人々のこころをとらえるためなのでしょう。向かって左側の顔の表情と右側の表情を微妙に描き分ける手法、絵の具を何度も塗り重ねて、人物の輪郭線をぼかす「スフマート」といわれる技法、遠くの風景は手前より、光の屈折によりだんだん青みがかり、うすくなるという「空気遠近法」を駆使するなど、科学者としての研究成果と画家のテクニックを、この絵の制作にすべて出しつくしたものと思われます。

この絵は、パリのルーブル美術館にあります。イタリア・ルネッサンスの代表的な画家でありながら、晩年のレオナルドはイタリアではあまり大事にされず、フランスのフランソア一世に温かく迎えられ、アンボワーズに近いクルー城で、1519年永眠しました。67年の生涯でした。最後まで自分の手元においた3点の絵画のうちの1点が「モナリザ」でした。レオナルドにとっても、もっとも手放しがたい作品だったからに違いありません。

私はこの絵に、1991年、1999年、2006年と3度対面しています。しかし、いつもたくさんの人に取り囲まれ、77cm×53cmの小さな絵なのに、防弾ガラスにおおわれ、人の肩越しで見る絵は、正直いって興ざめなところがありました。作者や美術館に失礼かもしれませんが、よく出来た複製画や、印刷の美しい画集でじっくり鑑賞したほうがよさそうです。

投稿日:2007年09月14日(金) 09:14

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)