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ルソーの自画像

私の好きな名画・気になる名画 21

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アンリ・ルソーが近代絵画の歴史に大きな役わりをはたしたのは、次の2点にあります。まず、ルソーがどんな流派にも入らない独自の画風をもったことです。もう1点は、まったく美術教育を受けず、天真らんまんな童心の世界をひらいた点です。

ルソーは1844年フランス西部の田舎町ラバルで金物屋の子として生まれました。18歳のとき兵役に入り、5年後に除隊してからは、パリの通行税を集金するつつましい税関史の役人になって、ひまをみては好きな絵をかいていました。そして、つとめをやめて絵だけに専念しだしたときは、50歳近くになっていました。

この 「自画像」 は、ルソーが1890年の頃に描いた作品で、原題は 「私自身、風景=肖像画」 とあり、これまでの肖像画にはなかった、バックにエッフェル塔のそびえるパリの町、万国旗や気球など、さまざまなルソーの大好きなものを描きこみました。ルソーの人柄はとても善良で、友人の一人は 「あげられるものなら心臓でも人にあげるほどだった」 そうで、60歳をこえても、子どものように澄みきった目をしていたといいます。

ルソーは、目にうつる自然の形をとおりいっぺんに描く画家ではありませんでした。じぶんが心から感動し、体験したもの、あるいは空想したものを、いろいろな形をかりて創りだした画家でした。その子どものようなまごころ、すみきった熱情が、人なみはずれた創意と結びついて色となり形となって、独自の様式を生みだしたのでしょう。

ウーデという親友が、こういっています。「ルソーは40歳から25年間、1日もむだのない年月をおくり、1時間としてむだのない日をおくった。眠るひまも、食べるひまもげずって、絵をかく根気はすさまじかった。たどたどしい絵筆のために、かえっておもしろい形のくずしかたや単純化がでてきたし、1900年ごろになると、たどたどしさをのりこえた技術をつかんで、色どりも複雑なものになっていった。夢のようなパリの景色、物語のかおり立つジャングルのさま、花や静物。それらの作品には、不誠実やいつわりのかけらすら見られない素朴さ、あくまでくもりのない愛情でみたされた心──そうした尊い人間性がひしひしと感じられる」 と。

42歳のときから、ルソーはパリのアンデパンダン展 (審査のない展覧会) に出品するようになりました。いつも彼の絵は人びとから笑われたり、からかわれたり、はずかしめられたりのし通しでした。でも、ピカソやピカソの友人の詩人アポリネールらは、ルソーの芸術の価値を高く評価し、「ルソーじいさんを讃える夕べ」という会を開きました。ピカソ27歳、ルソー64歳の時で、招待されたルソーは感動の涙を流したそうです。こうして、ピカソと仲間たちのおかげで、ルソーは有名になり、絵が売れるようになったことを忘れてはなりません。

美しい精神が息づいているルソーの絵は、原始芸術や土民の芸術とともに、絵画の世界にまじりけのない素朴な新しいジャンルをひらき、絵画史では 「素朴派」 と位置づけられています。

投稿日:2008年05月22日(木) 12:27

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)