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モネ 「日傘の女」

私の好きな名画・気になる名画 9

日本人は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍した「印象派の画家たち」の描いた作品が大好きです。

モネ、ピサロ、シスレー、ルノアールといった人たちで、初期の頃は、先輩のコローやクールベらの重厚な作品に感化をうけましたが、やがて、もっと若いマネを中心とした明るい絵に魅かれ、戸外に出て自然の光を強調した新しい絵を描きはじめました。これらの人たちの絵は、これまでのサロン(官立学校派)の絵とはまるで違っていたため、画家にとっての登竜門ともいうべきサロンに入選できず、したがって絵の買い手もなく、貧しい生活をしながら、自分たちだけの展覧会を開きました。

その第1回目の展覧会が1874年に開かれ、165点が展示されました。その中に、モネの「印象・日の出」という、朝もやの中を眠りからさめたような港に昇る太陽を描いた作品があったため、ある皮肉な評論家が、伝統的な表現手段を捨てた画家たちを軽べつをこめて「印象主義の画家たち」と表現したことが、のちにモネたちを印象派と呼ぶようになったようです。

この「日傘の女」(右向き・左向き)は、そのモネの代表作といってよいでしょう。「印象・日の出」を描いたのはモネ32歳の時で、その4年後、光によって千変万化する色彩を執拗なまでに追究する新境地を、パラソルをさしながら初夏の草原にたたずむ白いドレスを身にまとった若い女性を描くことで表現しました。やや下から見上げた視野から描いたのは、空と雲を背景に、ドレスの白と雲の白、風になびくスカーフの青と雲の青と、同系統の色を用いながら、微妙な色合いで自然と人物を一体化させる試みをしたのでしょう。混ぜ合わせると暗くなる絵の具の特性を知り、光の7色を混色せずに、原色で描くことで、明るい光にみちあふれている画面に仕上げました。草原にあるうすい赤、影の部分の濃い赤と緑の使い分けなども見事で、じっくり見ていると、作者とともに初夏の草原にたたずみ、草のにおい、風のにおいまで、感じられるような気がしてしまいます。

モネは、10代の頃から日本の浮世絵に興味を持ち出し、21歳のときにオランダを旅した際には、光琳、北斎、広重、歌麿らの版画をたくさん買いこみ、アトリエにはいつもこれらの作品が飾られていました。そして晩年にはパリ郊外の屋敷に日本庭園をこしらえ、睡蓮の池を眺めては、それをあきることなく描きながら、ひとりだけの豊かな光の変化を楽しむのを生きがいとしていたそうです。そんなところにも、日本人のモネ好きの原点があるような気がするのです。

投稿日:2007年10月18日(木) 10:53

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コメント (1)

ヘンリーおじさん:

エデイさん、
モネはいいですね!
実は、私も油絵を志しております。
目標は、モネなのです。
彼のような絵を描くのが夢です。
50歳になったら油絵を描こうと、30代の頃から
決めてましたが、じっくり絵を描く時間と心の
余裕がなくて、本格的にやるきっかけが取れなくて
悩んでいます。
Priorityからすると、今は、ヘンリーおじさんの
活動を軌道に乗せること、ヘンリーおじさんの
CDの#3を製作することと、結構いそがしいのです。
これらのことを忘れて、油絵に没頭できればいいのですが。
ながら族で、何か方法を考えなくてはいけないでしょうね。でも、何事でもそうですが、私はモネのような
絵を描けると信じています。可能性は低いかも知れませんが、目標は高いほうがいいのです。
どうせ登るのなら、エベレスト!
応援をお願いします。

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)