私の好きな名画・気になる名画 12
先週(1月24日号)のブログに [ブリヂストン美術館] のことを記しましたが、この美術館の収集作品のいくつかをを描いたセザンヌは 「20世紀の美術はすべてセザンヌから出発している」 といわれるほど、後世に大きな影響を遺した画家です。でも、生きている間はほとんど認められず、注目もされなかったのはゴッホに似ているといってよいかもしれません。
19世紀の終わり頃のフランスに、モネやマネらのように、風景でも人物でも、画家の心にどう感じたかを表現する、印象主義とよばれる美術運動が盛んになりました。1839年に南フランスの小さな町エクサン・プロバンス(エクス)で生まれたポール・セザンヌは、この印象派の技術を身につけ、さらに発展させたゴッホやゴーガンとともに、後期印象派の天才といわれています。しかし、セザンヌに天才ということばが与えられたのは、ようやく晩年になってからのことです。67歳のとき、絵をかきながらたおれてしまうまでの生涯は、決して楽しいものではありませんでした。
父は銀行を経営するほどの金持ちでした。めぐまれた家に生まれたセザンヌは、小学生のころから絵がすきでした。また中学校では、のちに大文学者となったエミール・ゾラとしたしくなり、文学にも夢中になりました。しかし、セザンヌは、父の希望で法律の大学にすすまなくてはなりませんでした。でも、画家になりたい気持ちがしだいに強くなり、ゾラにはげまされて、ついにパリにとびだしました。22歳のときです。
ところが、内気なセザンヌは、パリの芸術家たちとはしたしくなれず、ルーブル美術館に通って、絵を見学する毎日でした。そして2年ごに美術学校の入学試験をうけましたが、合格できませんでした。セザンヌは、パリの町に小さなアトリエを見つけて、ひとりで絵をかきはじめます。その絵は、絵の具を厚くぬった、だいたんで、はげしいものでした。それから何年ものあいだ、いくども展覧会に出品しましたが、落選するばかりです。ものの構造をしっかりと見て、自分の感じたままに表現するというセザンヌの絵は、だれからも理解されなかったためです。
50歳をすぎたころから、故郷のエクスにひきこもったセザンヌは、一日じゅう絵のことだけを考えて暮らしました。そして有名な 「自然はすべて、球形、円すい形、円筒形としてとりあつかわなければならない」 という結論にたっしました。
ブリヂストン美術館所蔵の 「自画像」 を描いたのもこの頃のことです。外套を着て中折帽をかぶったセザンヌが、身体を横に向けて、顔だけをこちらに向けています。きまじめな頑固おやじといった印象ですが、ものをしっかり見つめようという鋭いまなざしは、緊迫感がただよっています。若い頃の絵の具を厚くぬることから脱皮して、晩年になるほど絵の具をうすくとき、ていねいに描くようになっていて、この絵でも背中や右腕のあたりに白くみえるのは、カンバスの地がそのままになっています。そして、この肖像画は、ルネッサンス以来、さまざまな画家たちの描く目や鼻、顔の輪郭などはっきりした肖像画との違いを、明確にあらわしているといってよいでしょう。
セザンヌはこの絵をはじめ、たくさんの自画像を描いています。何しろ田舎のことで、モデルになってくれる人があまりいなかったのと、たまたまなってくれる人がいても、ちょっとでも動くとすぐに腹をたてたため、長続きしませんでした。セザンヌに 「気難しい孤高の人」 という形容詞がつくのは、傷つきやすく臆病な反面、ぶしつけで攻撃的になるなど、多くの人たちにとってつきあいやすい人ではなかったのでしょう。しかし、セザンヌが生涯をかけてめざした頂は、とてつもなく高いもので、やがてゴーガン、マチス、ピカソらにたくさんの刺激と感動を与えていったのです。