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ドガ 「舞台の踊り子」

私の好きな名画・気になる名画 24

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ドガにはたくさんの踊り子を描いた作品がありますが、この代表作 「舞台の踊り子」 には(エトワール)という別称がついています。主席ダンサーという意味で、まさにドガの作品の中でも第1級のできばえのパステル画です。2階のバルコニー席から見おろした舞台には、スポットライトと、左下からフットライトを浴びた踊り子は、華やかに、また軽やかに舞っています。客席からは大きな拍手をあびているにちがいありません。いっぽう、左上の舞台のすそには、出番を待つ踊り子やマネージャーなのか黒い服を着た男の姿があり、絵に光と陰を与えているかのようです。

ドガは、1834年、祖父がイタリアでおこした銀行のパリ支店長だった父と、アメリカに移民した貿易商を父にもつ母との間に生まれ、貴族の家系でした。本当の名はイレーヌ・エドガー・ジェルマン・ド・ガスといいますが、貴族に多い 「ド」 をつけるのをきらい、「ドガ」 と一文字の名を使うようになりました。働かずにいばっている貴族が気に入らなかったからだということです。

11歳でパリの名門中学に入り、2年後に母が亡くなるという悲しいできごとはありましたが、デッサンに興味を持ち、できれば絵描きになりたいと思いました。父親の強い希望で大学の法科に進むものの、絵をあきらめきれず、21歳のときに父親の許しをえて、国立美術学校にかわりました。アングルの弟子ラモットのアトリエにも通うようになり、アングルに強い影響力を受けて、生涯尊敬しつづけたようです。

21歳から24歳にかけて、ドガはイタリアへ行き、各都市をまわって古典的名画の研究したり模写したりしました。その絵は実に正確で、本物の絵の下書きのようなできばえでした。1870年以降、後に印象派の人たちの会合や展覧会にも出品しましたが、ドガ自身は印象派のひとたちとは違った道を歩みました。むしろ、ダビッド、アングルに続く古典の伝統をつぐ者だと信じ、素描家であることを自負していました。まさに、ドガの観察力の鋭さやデッサン力はデッサンには定評のあるアングルをしのぐとさえいわれています。

ドガの新しさは、動きの多いものを画題に選び、その瞬間的な動きを巧みに描くところでしょう。特に踊り子たちの人間模様に興味をひきよせられました。「踊り子たちは、たった1度の舞台に立つために、日々練習にはげんでいる。画家もこうあるべきだ」 と、毎日のように踊り子の稽古場に通い続けました。そして、その動きを注意深く観察し、ノートにぼう大な素描をかきとめました。そんな努力の積み重ねが、ドガの絵には美しく気品があるといわれる由縁なのでしょう。

投稿日:2008年06月20日(金) 17:38

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)