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自然と人生をかいた明治期の作家・国木田独歩

今日6月23日は、「武蔵野」 「牛肉と馬鈴薯」 「源叔父」 などの著作をはじめ、詩人、ジャーナリスト、編集者として明治期に活躍した国木田独歩(くにきだ どっぽ) が、1908年に亡くなった日です。

自然文学の名作 『武蔵野』 を書いた国木田独歩は、1871年、明治時代の幕が開いてまもなく千葉県の銚子で生まれました。少年時代のおおくは、裁判所書記官だった父の転勤で、山口、広島、岩国など山陽の各地ですごしました。

小学生のころは、いたずらっ子でした。けんかのとき爪でひっかくので「ガリ亀」という、あだ名がついていました。本名が亀吉だったからです。でも、学校の成績はよく、将来は、大臣か将軍になって、名を世に残すことを考えていました。

17歳で東京へでて、東京専門学校(いまの早稲田大学)へ入学しました。しかし、学校を改革するストライキに参加して4年めに退学、山口へ帰って小さな塾を開きました。文学に強くひかれるようになったのは、このころです。1年のちに、弟の収ニとともにふたたび東京へのぼったときには、イギリスの詩人ワーズワースの詩集を読みふけり、文学の道へ進むことをひそかに心に決めていました。

しかし、文学を学ぶためには、まず、自分の生活をきりひらかなければなりません。独歩は、1年ほど大分県で英語の教師をつとめたのち、東京へもどって国民新聞社へ入社しました。

独歩が新聞社へ入る1か月ほどまえに、中国との戦いが起こっていました。日清戦争です。独歩は、従軍記者として軍艦に乗り込みました。そして、弟への手紙の形で書きつづった 『愛弟通信』 を新聞に連載して、文の美しさで名をあげました。

軍艦を1年でおりると、新聞記者もしりぞいて作家生活を始めました。ところが、悲しい事件が待ち受けていました。ふと知りあった女性とはげしい恋におちいり、女性の親の反対をおしきって、やっとむすばれたと思うと、わずか半年で愛する妻に失そうされてしまったのです。愛にやぶれた独歩はうちひしがれ、内村鑑三になやみをうちあけて、アメリカへ渡ることさえ考えました。このとき独歩は25歳、鑑三は35歳でした。

そのごの独歩は、どのように歳月をへても変わらない自然を愛し、限られた歳月のなかで生きる人間のはかなさを見つめ、『源叔父』 『武蔵野』 『牛肉と馬鈴薯』 『空知川の岸部』 などのすぐれた作品を、ひとつひとつ書き残していきました。

書いても書いても原稿が売れず、出版社を起こすことや、いっそ文学者をあきらめて政治家になることを考えたこともありましたが、けっきょくは、ありのままの人間を語る自然主義文学の道を進み、1908年に36歳の若さで世を去りました。独歩は、だれにでも語りかける、心やさしい小説家でした。

この文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 34巻「夏目漱石・野口英世」の後半に収録されている14名の 「小伝」 から引用しました。近日中に、300余名の 「小伝」 を公開する予定です。ご期待ください。

なお、ネット図書館「青空文庫」 では、国木田独歩の作品30編を読むことができます。

投稿日:2008年06月23日(月) 09:50

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)