児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  江戸幕府稀有の政治家・田沼意次

江戸幕府稀有の政治家・田沼意次

今日6月24日は、江戸時代の中ごろ、足軽の子に生まれながら、側用人から老中までのぼりつめ、1767年から1786年まで 「田沼時代」 とよばれるほど権勢をふるった田沼意次(たぬま おきつぐ) が、1788年に亡くなった日です。

田沼意次は、江戸時代中ごろの、幕府の政治家です。父は足軽から身を起こした、あまり身分の高くない武士でしたが、第9代将軍徳川家重と第10代将軍家治につかえた意次は、将軍のそばで雑用をする小姓から、将軍の命令を老中へ伝える御側用人へ、さらに幕府最高職の老中へと、おどろくほどの大出世をしました。

幕府の中心で活躍するようになった意次は、将軍さえもあやつるほどの権力をふるい、思いきった政治を、次つぎに実行していきました。しかし、それは民衆のための政治ではなく、すべて、幕府を豊かにするためのものでした。

まず、海産物の加工を盛んにしてオランダや中国へ輸出し、かわりに金や銀を輸入するようにしました。次に、銅、鉄、真ちゅう、菜種油、生糸、朝鮮人参、石灰、硫黄などを幕府がすべてとりしまる制度をつくり、一部の商人に生産や売り買いの許可をあたえるかわりに、その商人には高い税をおさめさせて、幕府がうるおうようにしました。また、新しい貨へいを造ることや、鉱山を新しく開くことに力を入れたほか、下総国(千葉県)印旛沼を干しあげて農地を広げることや、蝦夷(北海道)を開拓することなども計画しました。

外国との貿易や蝦夷の開拓に目を向けた意次は、たいへん進んだ考えをもっていたのです。ところが、幕府のことを中心に考えた政治は、やがて、みにくいことをさらけだすようになっていきました。それは、特別な商人にだけ商売の権利をあたえたことにより、幕府の武士や役人と商人のあいだで、わいろがやりとりされるようになったことです。そして、お金の力で政治がゆがめられるようになってしまいました。

いっぽう、大ききん(天明の飢饉)が広がっているというのに、貧しい人びとを救う政治はおこなわれず、そのため都市の町民は米屋や質屋をおそい、農民は一揆を起こして領主をおそい、世の中はすっかり乱れてしまいました。

こうなると、意次の政治へのひはんが強まるのはとうぜんです。1784年に、意次の長男の意知が、江戸城で殺される事件が起こると、2年ごには、意次も老中職を追われてしまいました。政治の権力をにぎっていたあいだ、意次の家には、わいろの金銀が山をなしていたといわれています。しかし、この話は、事実かどうかわかりません。意次は暗い心のまま69歳で亡くなりましたが、この時代に、学問や芸術はたいへん栄えました。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 28巻「塙保己一・良寛・葛飾北斎」 の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2008年06月24日(火) 09:07

 <  前の記事 自然と人生をかいた明治期の作家・国木田独歩  |  トップページ  |  次の記事 学問の神様 菅原道真  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/1355

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)