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学問の神様 菅原道真

今日6月25日は、幼少の頃から学問の誉れが高く、学者から右大臣にまでのぼりつめたものの、政敵に陥れられて九州の大宰府へ左遷された平安時代の学者 菅原道真(すがわら みちざね)が、845年に生まれた日です。

名高い学者の家に生まれた菅原道真は、すでに10歳のころから漢詩を作り、自分も一流の学者になることを心に決めて成長しました。少年時代は、友だちと語る時間も惜しんで、勉強にはげんだということです。18歳で、漢詩や歴史を学ぶ文章生という学生になり、25歳で、役人になるための最高の試験に合格して、役人をつとめながら学問の道を進むようになりました。

32歳のとき、朝廷の人事をつかさどる式部省の次官に任命され、学者としても、最高の文章博士になりました。ところが、あまりにも早い出世を、おおくの学者たちにねたまれ、つらい思いをしなければなりませんでした。また、朝廷で勢力をのばしてきた藤原氏の権力におされて、政治家としても、いろいろ苦労がたえませんでした。

866年、道真は讃岐守に任じられて四国へわたりました。都で育った道真には、地方の生活はさみしくてしかたがありません。詩や歌を作って心をなぐさめながら、毎日をすごしました。

4年ののち京都へもどってくると、まもなく、わがままな藤原氏をにくんでいた宇多天皇から、大臣の位につぐ参議にとりたてられました。道真が藤原氏に負けない政治の力をふるってくれることを、期待されたのです。894年には、それまで260年もつづいてきた遣唐使が道真の意見で中止されるほど、道真は天皇に深く信用されていました。

899年、54歳の道真は、2年まえに天皇の位を醍醐天皇にゆずっていた宇多上皇の力で、右大臣の位にまでのぼりつめました。学者が大臣になったのは、奈良時代の貴族だった吉備真備いらい、133年ぶりのことでした。しかし、道真の運命は、右大臣になったことで、かえってかたむいてしまいました。

道真をにくんでいた左大臣の藤原時平が、醍醐天皇に 「道真は自分の血すじのものを天皇の位につけようとしています」 と、告げたからです。道真が、そんなことを考えていたかどうか、事実はわかりません。でも、天皇に疑われた道真は、右大臣から地方の役人に位をさげられ、九州の大宰府へ行くことを命じられてしまいました。罪人が島流しにされたのと同じです。

大宰府での道真は、都をしのんで悲しい歌をよむうちに、からだも弱り、2年ごの903年に58歳の生涯を閉じてしまいました。

朝廷は、のちに道真の罪をゆるし、京都の北野に天満宮を建てて、その霊をなぐさめました。これが、学問の神として信仰されるようになった、天満宮のおこりです。

なおこの文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 20巻「藤原道長・紫式部」 の後半に収録されている14名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2008年06月25日(水) 09:15

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)