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マドリッド3大美術館を制覇

今回の 「スペイン・ポルトガル旅行」 わがベスト10・その2 「マドリッド3大美術館を制覇」 について記したいと思います。

マドリッドにある美術館といえば、まず 「プラド美術館」 があげられます。世界3大美術館の一つとして、パリのルーブル美術館、ロンドンのナショナル・ギャラリーと並び、絵画の収録点数は世界一の規模を誇ります。基礎になるのは、スペイン王室が所蔵していた大コレクションで、王家が宮廷画家たちに描かせた作品が多く、ベラスケス、ゴヤ、グレコ、ムリーリョらがその代表です。

「プラド美術館」 訪問は3度目でしたが、私自身の美術鑑賞に対する思い入れが深くなってきたせいか、以前に出会った作品を見ても、その奥が見えるようになったためか、興味が倍加するのを感じました。今回は、たまたま 「ゴヤ特別展」 が催されていて、120点所蔵しているというゴヤの作品のほとんどを3部に分類展示していました。第1部は宮廷画家になる前に描いていたタペストリーの下絵の数々。竹馬、シーソー、人形遊びなど、子どもの遊びが楽しく描かれていたせいか、幼稚園児や小学下級生たちが先生に引率されて静かに鑑賞しているシーンがあちこちに見られたのは、とてもほほえましい光景でした。第2部は宮廷画家として活躍していた頃に描いた 「カルロス4世の家族」 「裸のマヤ」 などの代表作。第3部は、黒い絵といわれる作品群で、「わが子を食うサトルヌス」 など、革命と動乱の時代に遭遇し、全聾という晩年のゴヤのやりきれない心情のほとばしりが感じられました。

午後はフリータイムを利用し、兄猛夫夫妻と3人で、ピカソの大作 「ゲルニカ」(3.5m×7.8m) があることで有名な 「ソフィア王妃芸術センター」 を訪れました。ゲルニカとは、スペイン北部の海岸にある小都市の名前です。1936年、スペインに内乱がおこり、人民戦線とフランコ率いる国民戦線に分かれて戦っていました。そして翌1937年4月、フランコの同意を得たナチス空軍は、史上はじめてゲルニカに無差別爆撃し、町を壊滅させました。7000人の人口のうち2000人以上が死亡したといいます。当時パリにいて万国博覧会のスペイン館壁画の準備していたピカソは、この大事件を耳にして計画を変更、戦争の悲惨さをこの絵にこめたといいます。この美術館には、ゲルニカを制作するにあたって描いた数十枚にもおよぶ習作やデッサンなどを展示して、いかにピカソが試行錯誤しながら、この大作に取り組んだことがよくわかりました。その他 「泣く女」 など、当時ピカソが描いたキュービズムの代表作も展示されていました。

3つ目の美術館は、「ティッセン・ボルネミッサ美術館」。ラッキーだったのは、イタイアに生まれ、第1次大戦後にパリのモンマルトルとモンパルナスを中心におこった新しい時代の芸術運動 [エコールドパリ] の代表的画家 「モディリアニ展」 が開かれていたことです。ヨーロッパ中のさまざまな美術館からモディリアニの代表作が集められていたばかりでなく、初期に大きな影響を受けたセザンヌの 「赤いチョッキの少年」 と対比したり、絵画より彫刻家をめざしていたモディリアニがアフリカやオセアニアの原始的な彫刻からヒントを得て細長い顔と首の作品を制作したこと、やがてそれを絵画に応用して、一度見たら忘れられない肖像画の傑作をいくつも描くようになる過程がとてもよく整理されていました。特に35歳で亡くなる2、3年前に描かれたユニークな 「裸婦」 の数々はまさに圧巻でした。

こうして、大満足のうちに、マドリッドの3大美術館を制覇しました。そして、その合間を利用して、3つの美術館の西側にある 「レティロ公園」 をのぞいてみました。40万坪という桁違いの公園で、歩いても歩いても果てしないほど。ボートが浮かぶ人工池や噴水があるというので、地図を手に15分ほど歩いて見ましたが、まだまだ先のようです。こんな大公園が都会のど真ん中にあって、市民にいこいの場所を提供しているのはうらやましいほどで、新緑の美しさが特に印象的でした。

投稿日:2008年05月02日(金) 13:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)