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アングル 「泉」

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有名な 「泉」 を描いた画家アングルは、1780年フランス南西部モントーバン郊外ムスティエに生まれました。父親も画家・彫刻家で、建築も手がける人でした。音楽にも造詣が深かった父は、アングルが幼い頃からルネサンスやロココの巨匠たちのたくさんの複製画を見せては、デッサンの手ほどきをしたり、バイオリンを教えたりしました。そのため、アングルは12歳でトゥールーズのアカデミーに入学して画業にはげむかたわら、オーケストラの一員となって、小遣いかせぎをするほどの腕前だったそうです。

17歳になったアングルは、パリに出てダビッドの門下生になりました。4年間の修行のかいがあって、1801年には、若い画家の登竜門ともいうべきローマ賞を受賞、ローマに留学できる権利をえました。ところが、国家財政が逼迫していたため、5年後の1806年にようやく念願のローマ留学をはたしました。バチカンでラファエロの部屋に出会い、シスチナ礼拝堂のミケランジェロの大作などに心から感銘するのでした。「これまでの自分はだまされていた」 と友人に語ったといわれています。先生である新古典派の巨匠ダビッドの権威が支配的だった時代、ほんとうの古典を知ったアングルは、4年ではあきたらず、さらに10年もの間ローマにいて、ひどい貧しさと戦いながら、人の肖像画をかいては生活の糧をえ、勉強を続けました。さらにフィレンツェに4年間いて、パリにもどったのは1824年のことでした。

しかし、定評はえていたものの、独自の美の理想を追求しようとするアングルの作品の評判は、必ずしもよいものではありませんでした。1820年ころから、ドラクロアを代表とする 「ロマン派」 が台頭してきて、「新しい時代の思想や感情を表現するためには、新しい表現手段が必要。絵画での新しい手段は、色彩と運動にある」 といって、人々の支持をえはじめていたからです。アングルは、人体も物体も、さらに思想や感情も線による輪郭の中に閉じこめるのに対し、ロマン派は、色彩と運動は解放するものとして、大きな対立をするようになっていたのです。そして、その後、30年ものあいだ、両者はにらみあいを続けました。

アングルは、美しい線を描くために、デッサンを綿密にくりかえし、特に完璧なデッサンから生み出された女性美を描くことに生涯をかけました。「泉」 を描いたのは、1856年、アングルが76歳の時です。古代ギリシアの彫刻のような均整のとれた少女の姿は、息づくような若さとやわらかさに満ちていて、壷から流れ出るすきとおった水は、さわってみたくなるほどです。水の音以外にはきこえない、静けささえただよってきます。まさに、アングルの曲線に対するこだわりがこの作品に開花したではないでしょうか。そして、4年後、さらに女性美を追求した直径1mの円形作品 「トルコ風呂」 を残し、静かにパリの自宅で息をひきとりました。

投稿日:2008年05月16日(金) 09:52

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)