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日本人の大好きな画家・フェルメール

私の好きな名画・気になる名画 11

17世紀の画家フェルメールが有名になったのは、わずか160年ほど前からのことです。1842年にフランスのある美術評論家が、フェルメールの描いた「デルフト眺望」に出会い、とても感激し吹聴したことで、200年間も埋もれていたフェルメールの芸術がヨーロッパに注目され、熱心に研究されるきっかけになりました。これほどすぐれた画家が200年ものあいだ、人々から忘れ去られていたということは、それだけフェルメールの絵が、時代を先取りした新しさに満ちていたということなのでしょう。

フェルメールはオランダの、陶器で有名なデルフトで1632年に生まれ、1675年に同地で亡くなっています。43年の生涯に、現在知られている作品は30数点しかありません。特筆すべきは、そのほとんどが室内画であるということです。「デルフトの眺望」ともう1点の風景画、3点ほどの肖像画、2、3点の歴史画があるだけです。その室内画も、気持ちよくさっぱりと整とんされた室内に、一人あるいは二人の人物が軽い行動や仕事、たとえば手紙を読むとか、刺繍をする、音楽を奏するといった何気ない日常の動作をしている場面が描かれています。現在、六本木の国立新美術館で開催されている「牛乳を注ぐ女」もそのひとつで、静かな、落ち着いた日常がさりげなく描かれ、色調もしっとりとやわらかさのある作品に、多くの日本人が共感するのでしょう。平日の午後に、2度ほどこの絵に対面しましたが、何重もの人が並ぶほど熱気ムンムンで、じっくり鑑賞するどころではなかったのはちょっと残念でした。

フェルメールの伝記的な人物像に関しては、ほとんど知られていません。フェルメールの日記や手紙は見当たらず、わずかな記録が残っているにすぎないからです。自画像も描いていないので、フェルメールがどんな容貌をしていたかさえはっきりとわかっていません。フェルメールの作品 「絵画芸術」 に描かれている画家は、本人と思われていますが、うしろ姿しかわかりません。他の作品に、音楽家が描かれていて、一部の美術専門家の間ではそれがフェルメールの自画像だとされています。

フェルメールの父は、カーテンや室内装飾用のつづれ織りを作る絹織工でした。「空とぶキツネ」という宿屋兼居酒屋を営み、他に骨董店では絵画も商っていたので、フェルメールは、子どものころから美術の世界に接していたと思われます。6年間の画家としての修行を終えたあと、21歳のときにマスターとなりましたが、誰に師事したかもわかっていません。

フェルメールは作品を描くとき、「カメラ・オブスキュラ」 (暗箱)として知られる装置を使ったようです。この装置は、箱の前面に穴があり、うしろにすりガラスのスクリーンのある簡単な器具で、当時多くの画家たちに使用されていました。フードで頭をおおうと前面の光景がガラスのスクリーンに映って、用意されたカンバスに転写するというやり方です。

1672年、フランスがオランダに宣戦布告したため、父親から受けついだ商売ができなくなり、町の中心から小さな家に引っ越さなければなりませんでした。それから3年後になくなり、残された夫人と8人の子どもたちは破産状態だったといわれています。フェルメールの完全無欠ともいうべき作品ばかりでなく、謎に満ちた生涯、寡作であるために贋作事件も多いためか、330年以上たった今も注目されているのは驚きです。来年秋も、東京・上野の東京都美術館で4点以上が集められるフェルメール展が企画されています。

投稿日:2007年12月06日(木) 11:40

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)