児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  今日はこんな日 >  随想録を著わしたモンテーニュ

随想録を著わしたモンテーニュ

今日9月13日は、世界的な名著 「随想録」の著者として、400年以上たった今も高く評価されているフランスの思想家モンテーニュが、1592年に亡くなった日です。

フランスの思想家、モンテーニュの『随想録』(エセー)は、哲学としても文学としてもすぐれた作品です。豊富な知識と、モンテーニュ自身の生活体験によって書かれたもので、人間の心をするどくみつめています。人間性と人間の生き方を探求したモラリストの文学として、近代の文芸や思想に、えいきょうをあたえました。

モンテーニュは、1533年、フランスのボルドーに近いモンテーニュ村に生まれました。商人から貴族になった家がらで、父はボルドーの市長をつとめた人です。モンテーニュの教育には、幼児期から力がそそがれ、難しいラテン語をわずか2歳ではじめたといわれます。6歳から13歳までギエンヌ学校に学び、そのごは父のような役人になるために、法律を勉強しました。1554年、21歳のモンテーニュは、ギエンヌの裁判所で官職についたのをはじめとして、38歳になるまでつとめをつづけました。

1569年にモンテーニュは、スペインのレーモン・スボンが書いた『自然神学』という本を、ほんやくして出版しました。この本は、人間生活の自然な心をとおして、神の存在を説きあかそうとするもので、モンテーニュの思想の土台になりました。

そしてモンテーニュは、自分自身をみつめ、世の中や人間を深く観察するようになっていきます。人間のおろかさや弱さをすなおにわきまえ、思いあがってきめつけることをせず、つねに物事を冷静に考えようとしました。

モンテーニュは、古めかしい考えがはばをきかす官職の生活に、いや気がさして、ふるさとへ帰っていきました。モンテーニュ村のやしきのなかに「世すて人の塔」を建てて、ひきこもりました。高さ13メートルほどの円筒形の建物です。下から順に礼拝堂、自分だけの寝室、書斎などがつくられ、書斎の窓からは、家族の住む家庭のようすがながめられます。役人をやめて著作生活にはいったモンテーニュは、この塔で10年ちかくも暮らしました。そしてめい想にふけりながら『随想録』を書きつづけ、1580年に2巻をまとめあげました。

『随想録』を出版したよく年の1581年に、モンテーニュはボルドーの市長にえらばれ、4年間つとめました、キリスト教の旧教徒と新教徒があらそいあって、世のなかがゆれうごいていた時代です。モンテーニュは,新教と旧教のあいだをうまくとりもって、ボルドー市の平和をたもつことに力をつくしました。市長をやめると、モンテーニュはふたたび文筆生活にもどり、1588年に『随想録』の第3巻を出版しました。

なお、「ウェブ石碑名言集」というサイトでは、モンテーニュの「随想録」に出てくる簡潔で的確な名言「泣くことも一種の快楽である」「賢者が愚者から学ぶほうが、愚者が賢者から学ぶことより多い」など約70種を味わうことができます。

この文は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中)5巻「ミケランジェロ・レオナルドダビンチ・ガリレオ」の後半に収録されている7名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。ご期待ください。

投稿日:2007年09月13日(木) 10:16

 <  前の記事 ピーターラビットの「ミス・ポター」 ロードショー公開  |  トップページ  |  次の記事 レオナルド・ダ・ビンチ 「モナリザ」  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/1029

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)