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ピーターラビットの「ミス・ポター」 ロードショー公開

世界中で愛されているコンパクト判絵本「ピーターラビット」シリーズ23点の生みの親ビアトリクス・ポターの自伝映画「ミス・ポター」が、9月15日から、日劇3ほか全国東宝洋画系約300館でロードショー公開されます。あらすじは、次の通りです。

1902年のロンドン。上流社会の女性が仕事を持つことなどあり得なかったビクトリア朝の時代に、絵本作家をめざした32歳の上流階級育ちの独身女性ビアトリクス・ポターは、ピーターラビットを描いたスケッチブックを片手にさまざまな出版社に売りこみをしますが、断られ続けます。ある日、ようやくフレデリック・ウォーン社主兄弟に出版を了承してもらえました。失敗してもかまわない仕事として、編集未経験の末弟ノーマンにこの仕事を押しつけたのでした。でもノーマンは「ピーターラビット」をとても気に入り、ポターの主張する、これまでの常識をくつがえすコンパクト判(文庫判より一回り小さいサイズ)とするなど、すべての要求を受け入れて出版。500冊も売れれば上出来という兄たちの予測を大きく裏切り、たちまちベストセラーになりました。次々と刊行するシリーズも好評、ポターとノーマンは互いに惹かれあい結婚を約束するまでに至りました。ところが身分が違いすぎると母は猛反対、何日も口を聞かない娘に父は一つの提案をします。[毎年のように夏を過ごす湖水地方(イングランドの北西部・ピーターラビットの舞台)で過ごし、夏が終わっても気持ちが変わらなければ結婚を許そう]というものでした。遠く離れた距離を埋めるように文通する二人。ところがこの恋は、ノーマンの病死により突然終わりを告げます。悲しみにうちひしがれながら、ポターはロンドンを離れ、創作の源であり、魂の故郷ともいえる湖水地方に移り住みます。そして、ヒルトップ農場を購入するなど、美しい自然はポターの心の傷を癒すのでした。ところが、そんな湖水地方に、農地を買い上げて自然を破壊しようとする開発業者が現われました。今や世界的なベストセラー作家となったポターは、莫大な資産を得ていました。その資産を使い、農場の競売で破格の値でせり落とそうとする開発業者を打ち負かしました。そして、天国から見守るノーマンと、自然を守ろうとするポターに賛同するウィリーの助けを得て、ポターは第2の人生を、力強く歩みはじめるのでした……。

こうして、1943年77歳でなくなるまでに、ポターが湖水地方に購入した土地は4千エーカー(約490万坪)と15の農場です。遺言により、ポターのすべての資産は、世界的な自然保護団体ナショナル・トラストに寄贈。そして、その後の印税も「湖水地方の保護」のために使われています。ピーターラビットたちの生きていた100年前の姿を、いつまでも続けてほしいというポターの願いがこめられているのです。

私は去る5月、この映画を早々と鑑賞しました。当社がここ10数年間、毎年「ピーターラビット・カレンダー」をフレデリック・ウォーン社から大量に仕入れていることもあり、特別に試写会に招待されたものでした。ポターについては、すでに何冊かの本を読んで知ってはいましたが、いろいろな角度から映し出される 「湖水地方」の美しさは格別で、いずれ訪ねてみたいと思ってしまいます。子ども部屋にウサギやネズミ、トカゲやヤモリなどの小動物を飼っていた子ども時代の回想シーンや、競売にかかる農場や土地を、開発業者と駆けひきをしながらついに競り落とすポターの迫力も見ものです。

「ピーターラビット」シリーズは世界111か国で出版され、23作品の合計は1億冊を越えるそうです。日本での出版は1971年、福音館書店から石井桃子さんの訳で刊行を開始しました。当時、文庫判の絵本シリーズの構想を練っていた私には、日本語版「ピーターラビット」絵本シリーズの成功は、「レディバード絵本シリーズ」との出会いとともに、とてもはげみになったものでした。この2つの絵本シリーズの版元「フレデリック・ウォーン社」「レディバード社」共に、現在は「ペンギンブックス社」の一事業部になっているのには、何か因縁めいたものを感じてしまいます。

投稿日:2007年09月12日(水) 09:10

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)