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ファッシズムと戦った河合栄治郎

1938年(昭和13年)の今日10月5日は、東大の経済学部の教授だった河合栄治郎の著書「ファッシズム批判」など4冊の著書が発売禁止になった日です。

河合栄治郎は自ら、資本主義を無条件に肯定する(第1期自由主義)から、資本主義の弊害を改良する(第2期自由主義)、さらにこれをしのぐ「第3期自由主義者」と称していました。この考えは、個々人の人格の成長に最も高い価値をおき、それが社会全体に広がった「理想的社会」の建設にあると説きます。そのため、昭和の初期は、共産主義や社会主義者と鋭く対立し、やがて軍部の台頭によりファッシズムが蔓延してくると、今度はその矛先をファッシズムに向け、堂々と論陣を張り、著書に記しました。

「五・一五事件以来、ファッシズムことに軍部内におけるファッシズムは、おおうべからざる公然の事実となった。さらに今回(ニ・ニ六事件)災禍に遭遇した数名の人々は、このファッシズム的傾向に抗うことを意識し、身をもってファッシズムの潮流を阻止せんとしたのである。筆者は、これらの人々を個人的に知らず、知る限りにおいて彼らと全部的に思想を同じくするものではない。しかしファッシズムに対抗する一点においては、彼らは我々の老いたる同志である。不幸兇刃に倒るとの報を聞けるとき、私は云い難き深刻の感情の胸中に渦巻けるを感じた……」(「ニ・ニ六事件に就いて」より一部抜粋)

この翌年1939年1月、これらの発禁となった著書が「世の中の秩序を乱す反国家的行為」という理由により出版法違反で起訴され、さらに大学を休職処分となりました。実質的な大学追放です。その後、裁判の被告となりながらも、自己の理想主義思想をつらぬき通し、その信条を直接学生に呼びかける「学生に与う」を著わすなど、学生叢書を執筆し、次の時代を担う弟子たちに今後を託して、1944年病死しました。

戦後、河合栄治郎の弟子たちは、師の思想を継続させるために社会思想研究会を設立。その出版部はまもなく「社会思想社」となって、現代教養文庫を中心にユニークな刊行物を数多く出版しました。私の高校時代は、教養文庫のもっとも充実していた頃で、ベネディクトの日本人論「菊と刀」をはじめ、堀秀彦編「格言の花束」など私の大好きなシリーズでした。特に河合栄治郎の「学生に与う」は、私自身の精神的バックボーンとなるほどの愛読書となりました。そして、大学で河合栄治郎の弟子だった江上照彦先生の教えを受け、これが縁で卒業後に社会思想社に入社、当社「いずみ書房」を設立するまでの7年半、この会社のお世話になったのは、運命のいたずらとしかいいようがありません。

投稿日:2007年10月05日(金) 10:04

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)