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マラッカひとり旅

昨日に引き続き、「マレーシアの旅」で印象に残ったことを記します。
このブログにリンクしている、私の兄「十(とお)一(はじめ)こと酒井猛夫のブログ」(8月22日〜31日)に、マレーシアの古都マラッカの記述がありますが、今回兄とホテルで合流する前に、マラッカ訪問を強く勧められていました。

そこで最新のガイドブック「マップル・マレーシア2007年版」(昭文社刊) の表紙裏広告のウェンディツアーに「日本語観光バス・マラッカ日帰り290リンギ(約1万円)」と出ていましたので、これを利用しようと、メリアホテルから5分ほどのところにある事務所を訪ねました。日本語の堪能な事務員が応対に出てくれましたが、このコースはすでに320リンギに値上げされていること、2名以上で催行されること、他に申し込み者がないので2名分料金640リンギ(22400円)ならば出発可能、といいます。ちょっと高いのでここに頼むのはあきらめ、鉄道があるはずだという情報から、タクシーの運転手に「KLステーション」と告げました。ところが降ろされたところに駅は見当たりません。いろいろな人に聞いても右だ、左だと要領を得ません。そして、上を見上げてビックリ。昨日記したペトロナス・ツインタワーがそびえているではありませんか。タクシーの運転手は、KLCC駅(プトラ線という駅がある)と勝手に解釈したことがわかりました。翌日ここに来る予定にしていたので、計画をいれかえることにしてことなきをえましたが、タクシーを利用するときはそんな注意も必要です。

ところでこの日の夜、前回購入したガイドブック(「地球の歩き方・マレーシア」ダイヤモンド社刊)に出ていた日本料理店「炉ばた大作」に行きました。日本語の堪能な中国系の板前さんに、昼間の失敗談を話したところ、「マラッカへ行くならバスを利用するのが一番便利、片道10リンギほどですよ」と、プドゥ・ラヤというバスターミナルのある場所を、私の手持ちの地図に○印してくれました。見ると、何とメリアホテルから歩いて10分もしない距離にあるのです。翌朝さっそくバスターミナルをめざしました。とても広いバス・ステーションで20〜30台も止まっています。係員に「マラッカへ行きたい」と告げると、目的地別になっている改札口の番号を教えてくれ、窓口で切符を購入すると、9.2リンギ(320円)です。約170キロ、2時間もかかるところまで行くのに何と安い料金なのでしょうか。バスは予定通り、2時間ほどでマラッカのバスターミナルに到着。でも、マラッカの中心地からは遠く離れているようで、客待ちをしていたタクシーの運転手に「オランダ広場」までどのくらいの距離があるかと聞くと、5〜6キロで15リンギといいます。(このようにマレーシアのタクシーは、乗る前に料金交渉するのが一般的)。こうして、バスとタクシーとあわせ約850円でマラッカに、無事着くことができました。

兄の勧める通り、マラッカは興味深い町でした。運賃が思ったより安かったので、マラッカ名物の人力3輪車トライショー(1時間40リンギの定額制)に乗ってみました。80歳という元気なワンさんが運転手。坂道になると「軍艦マーチ」を口ずさんで気合をいれるワンさんの片言の日本語まじり英語による解説つきで、イギリスから独立するまでの歴史を伝える「独立宣言記念館」、マラッカ海峡が一望できる高台の「セント・ポール教会跡」、マレーシアの原型となったマラッカ王国の宮殿を復元した「スルタン・パレス博物館」を見物。この博物館は、何層にもなる屋根が特徴の木造高床式の建物で、靴をぬいであがると、1階はスルタンに謁見する人々の様子が実物大の人形で再現されていたり、2階は数々の装飾品、3階は武器など、とても見みごたえのある宮殿でした。庭も広々と充実していて、スペインのアルハンブラ宮殿の庭を急に思い出したものでした。1時間ほどでトライショーを終了し、ゆっくりマラッカの町を散策、最後に日本にキリスト教を伝えた「フランシス・ザビエル教会」を訪ねました。教会の庭に、ザビエル像と並んで、ザビエルに日本への布教を勧めたヤジロウ像があるのが印象的でした。鹿児島出身のヤジロウは、若い頃人を殺してマラッカに逃れ、その罪をザビエルに告白したことが知り合うきっかけだったようで、この出会いがなければ、日本にキリスト教が伝えられた1549年よりずっと後になっただろうと考えながら、マラッカの地を後にしました。

投稿日:2007年11月30日(金) 10:19

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コメント (1)

山下慎一:

私も二年前に マラッカへ 出かけました。現地の日系
工場視察が目的でした。前日にペナンへ入り、翌日は
空路クアランプールへ 飛び、そこからタクシーで二時間で到着しました。印象的だったのは マラッカ市内に入る前に ジャスコの大きなスーパーがあることでした。翌日は シンガポールへ戻りましたが、朝少し時間があったので、市内を観光見物しました。
オランダの古き植民地だつたので、建物が少しEurope風でした。また 古い回教のモスクへ入りましたが、そこで 日本軍の軍票を発見し、また山下奉文大将の新聞記事を見ました。

現在の日本のマスコミは 戦時中の事柄、人物を意識的に無視するような傾向があるようです。正しく歴史を見据えることは大切なので 残念な傾向です。

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)