昨夜、『「モナリザ」は聖母マリア〜レオナルド・ダ・ヴィンチの真実』(ランダムハウス講談社刊・四六判上製・462ページ)という大作を最近著した、高草茂氏の出版記念パーティにでかけました。高草氏は、まもなく80歳となる年齢にもかかわらずかくしゃくとした方で、歯ぎれ良く、著書の内容を語っておられました。学生時代に恩師から、ダ・ヴィンチの天才ぶりをさまざまな資料を元に教えを受けて感銘して以来、ダ・ヴィンチ研究に54年の歳月をかけて暖めてきたものを、藤ひさし氏(遠藤欽久氏ペンネーム)の強い勧めにより書き下ろし、このたび刊行に至りました。
今から500年ほど前、モナリザをはじめ十数点の絵を描いたことで有名なダ・ヴィンチは、その生涯に数千といわれる膨大な量のメモやスケッチを残しました(現在までに発見されたものは3750葉ほど)。将来出版したいと思ったものもあれば、着想を忘れないように記した覚え書き程度のもの、絵の構図が決定される前の習作などさまざま。最近、レスター手稿(36葉)が世界一の金持ちといわれるビル・ゲイツの個人所有になったと報道されたのは記憶に新しいところです。(この「レスター手稿」は現在、六本木ヒルズで開催されている“レオナルド・ダ・ヴィンチ展”で公開されています)
氏は大学卒業後、岩波書店に入社、美術編集部に配属され、1961年に発見され、世界的なダ・ヴィンチ研究の端緒となったというべき700葉もの「マドリッド手稿」日本語版を編集した他、79年にはトリノ王立図書館蔵「鳥の飛翔に関する手稿」(20葉)、85年にはウインザー王室図書館蔵「風景、植物および水の習性」(70葉)、90年には「馬および他の動物」など、ダ・ヴィンチ関連の書の日本を代表する編集者でした。その後、八ヶ岳山麓にある清春白樺美術館館長などを歴任し、終始内外の美術関連の研究や仕事に従事しててこられました。
氏のすごいところは、ダ・ヴィンチのすべての手稿に細かく目を通し、どの言葉やスケッチが、どこに書かれているものかを即座に言い当てることができるそうで、特に印象に残っているのはノートの片隅に小さな文字で記された次の言葉だということです。「私は父より前に生まれた人間。人類の3分の1を殺し、その後に母の胎内に戻る」……と。この言葉は聖書の「ヨハネ黙示録」に出てくる言葉の一部なので、ダ・ヴィンチが神の生まれ変わりを意識したものなのではないか。また、キリストの生まれ変わりというのはダ・ヴィンチと同時代に生きたドイツの画家デューラーもいっているので、その関連も追究してみたいという大胆な提言をされていました。
ダ・ヴィンチが最後のパトロンとなったフランス国王フランソワ一世の居城で亡くなる時までに、大切に持ち続けていた絵画は「モナリザ」「聖アンナと聖母子」「洗礼者ヨハネ」の3点でした。モナリザのモデルについては、フィレンツェの名士フランチェスコ・デル・ジョコンドの3番目の妻リザというのが一般的な説です。他に公妃イサベラ・デステ説、ジュリアーノ・デ・メディチの愛人説などさまざまで、いまだにモデル探しは続いています。しかしモデルがはっきりした肖像画であるとしたなら、ダ・ヴィンチが手元に持ち続けることはなく、最初にモデルはあったとしても、ダ・ヴィンチにとっては未完成だったのでしょう。目の表情、微笑み、精神性などあらゆる点を追究し、ダ・ヴィンチの理想的女性像として生涯描き続けていたのが「モナリザ」でした。そして、「モナリザ」こそ「聖母」だったと氏は結論づけるのです。
本書はまだ発売されて1か月にもなりませんが、すでに英語版につづきドイツからもオファーがきているということなので、まもなく、日本から世界へ、新提言が発信されることでしょう。