児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  偉人の子ども時代 >  「良寛」 のこども時代

「良寛」 のこども時代

● カレイになるといわれ、岩の上でカレイになるのを待っていた

良寛は、子どものころの名を栄蔵といいました。
ある日のことです。夕方になっても外へ出たまま栄蔵がもどってきません。母は、家のものといっしょに、あたりをさがしました。
すると栄蔵は、もう薄暗くなった海岸の岩の上に、海のほうを向いて、ひとりですわっていました。
その日、父に叱られた栄蔵は、くやしさのあまり父をにらみかえすと 「いつまでもそんな目をしているといい。おまえは、きっとカレイになってしまう」 と言われ、もう自分はカレイになってしまうと思いこんで、岩の上でカレイになるのを待っていたのです。
栄蔵は、そんな素直さをもった少年でした。それに、本を読むのがなによりも好きでした。
村祭の夜のことです。いつも家で本ばかり読んでいるのを心配した母は、栄蔵に祭にでも行ってくるようにすすめました。
さて、もう祭も終りになる時刻、母がふと庭を見ると、明りのついた石どうろうのかげに、だれかがいます。母はなぎなたを持ちだすと、そっと石どうろうに近づきました。
ところが、そこにいたのは栄蔵です。祭に行くふりをして家を出た栄蔵は、石どうろうの明りで本を読んでいたのです。
人を信じ、ものごとを深く考える栄蔵は、15歳のころから手つだっていた家の名主の仕事を17歳でやめ、出家して僧になってしまいました。権力をもち年貢をとりたてる名主になるのをきらい、父と母の反対をおしきって、仏の道へ入っていったのです。

良寛(1758〜1831)──自然や子どもを愛しながら歌の道に生きた僧。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。近日中にアップする予定ですので、ご期待ください。

投稿日:2006年11月02日(木) 09:42

 <  前の記事 「ケネディ」 のこども時代  |  トップページ  |  次の記事 「ダーウィン」 のこども時代  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/516

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)