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「ハイドン」 のこども時代

● 棒切れでバイオリンを弾くまねをして笑わせた

ハイドンの父親は貧しい車大工でした。しかし、いつも心の豊かさを大切にし、とくに音楽が好きでした。母も、神を深く信仰する心のやさしい人でした。
4歳のころには、父の弾くハープに合せて、美しい声で歌うようになりました。棒切れでバイオリンを弾くまねをして、みんなを笑わせることもありました。
5歳のとき、小学校の校長をしている親戚へ預けられました。
「家へ帰りたい、みんなどうしているかなあ」 ハイドンは、さびしさに涙ぐむこともありました。でも、「パパやママだって、さびしいんだよ。自分の勉強のためにがまんするんだ」 と言っていた父と母を思って、音楽の勉強のできることを神に感謝して、がんばり続けました。そして、6歳のころには、教会合唱団でみごとにミサを歌い、バイオリンやグラビーア (ピアノの原型楽器) も弾けるようになっていました。
8歳で音楽の都ウィーンへ出て、大聖堂の合唱団へ入り、その後およそ10年、独唱者として活躍しました。ところが、やがて声変りを契機に、17歳のときに大聖堂を去りました。
音楽家への道が開けたのはこれからです。屋根裏に住んで町の流しのバイオリン弾きをしながら勉強を続け、27歳で貴族の楽団の楽長に迎えられて、大作曲家への道を進んでいったのです。

ハイドン(1732〜1809)──30年ものあいだ貴族につかえ、多くの交響曲、弦楽曲、宗教的楽曲を残した、オーストリアの作曲家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづきハイドンを含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

投稿日:2006年11月14日(火) 09:31

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)