● 小さな手に持つ薬をすがるようにして売る行商の旅
親の行商から行商への旅で、小学校を10数回も変わった芙美子は、11歳のとき、親子3人で尾道へやってきました。まもなく芙美子は、町の人たちから“オイチニのむすめ”と、よばれるようになりました。父が、日本一薬館という薬屋から、軍服まがいの服と手風琴を借りて、町角で 「オイチニのくすりは、よいくすり、日本一のくすりがオイチニッ」 などと、手風琴にあわせてうたいます。すると芙美子が、父のまわりに集まった人たちの前へちょこちょこ行って、小さな手に持った薬を、すがるようにして売るのでした。
芙美子は、小学校へあがったときから、いろいろな行商の手つだいをしてきました。でも、このオイチニのときばかりは、なんだか、とてもいやでしかたがありませんでした。同じ年ごろの子どもが見ている前で、父といっしょにこんなことをするのが、やはり、はずかしかったのです。
でも一家は、小さな部屋の部屋代も電気代も払えないほど、また芙美子の学用品もなに一つ買えないほど貧しく、芙美子も、両親といっしょに、はたらかなければなりませんでした。
学校では、行商から行商への渡り者として、みんなから変な目で見られ、だれからも仲よくしてもらえませんでした。しかし芙美子は、どんな苦しみにも耐え、この苦しみが力となって、のちに名作『放浪記』を生む作家へと、成長していきました。
林芙美子(1903〜1951)──貧しい生活、苦しい生活に耐え、のちに名作『放浪記』を生んだ女流作家。
詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづき林芙美子を含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。