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「林芙美子」 のこども時代

● 小さな手に持つ薬をすがるようにして売る行商の旅

親の行商から行商への旅で、小学校を10数回も変わった芙美子は、11歳のとき、親子3人で尾道へやってきました。まもなく芙美子は、町の人たちから“オイチニのむすめ”と、よばれるようになりました。父が、日本一薬館という薬屋から、軍服まがいの服と手風琴を借りて、町角で 「オイチニのくすりは、よいくすり、日本一のくすりがオイチニッ」 などと、手風琴にあわせてうたいます。すると芙美子が、父のまわりに集まった人たちの前へちょこちょこ行って、小さな手に持った薬を、すがるようにして売るのでした。
芙美子は、小学校へあがったときから、いろいろな行商の手つだいをしてきました。でも、このオイチニのときばかりは、なんだか、とてもいやでしかたがありませんでした。同じ年ごろの子どもが見ている前で、父といっしょにこんなことをするのが、やはり、はずかしかったのです。
でも一家は、小さな部屋の部屋代も電気代も払えないほど、また芙美子の学用品もなに一つ買えないほど貧しく、芙美子も、両親といっしょに、はたらかなければなりませんでした。
学校では、行商から行商への渡り者として、みんなから変な目で見られ、だれからも仲よくしてもらえませんでした。しかし芙美子は、どんな苦しみにも耐え、この苦しみが力となって、のちに名作『放浪記』を生む作家へと、成長していきました。

林芙美子(1903〜1951)──貧しい生活、苦しい生活に耐え、のちに名作『放浪記』を生んだ女流作家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづき林芙美子を含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

投稿日:2006年11月13日(月) 09:12

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)