● 「またあの小僧がきてる」といわれるほどの図書館通い
五重塔の建立に命をかける、二人の大工の情熱と争いと友情を描いた代表作『五重塔』で知られる露伴は、生れつき体が弱く、幼年期には医者からなんども見はなされたほどでした。5歳で手習いを始めたころ目を悪くして、ほとんど盲目同様になってしまったこともありました。しかし、早くから学問を好み、6歳をすぎたころから塾へ通って漢書の素読を始めました。
9歳で東京師範の付属小学校へあがったときは、数学がたいへん得意でした。でも、とくに数学だけを勉強したというのではなく、ひまさえあれば『弓張月』『田舎源氏』『白縫物語』などの草双紙 (絵入りの小説) を続みふけりました。勇ましくも悲しい歴史物語が、露伴の小さな胸をふるわせて離さなかったのでしょう。
12歳で東京府立第1中学校へ進み、1年後には東京英学校へ変りました。ところが父が下級官吏だったために学費がつづかず、中途で退学しなければなりませんでした。
しかし、露伴は学校で学べなくなったことを悲しみもせず、かえって自分の力で勉強にうちこんでいきました。勉強の場は、お茶の水にあった東京図書館でした。毎日のように図書館へ行っては、図書館員に 「また、あの小僧が来てる」 と言われるほど、さまざまな漢書、小説、仏典などを借り出して読みつづけたのです。
17歳のとき、生活のため電気技手として北海道へ渡りました。でも、漢書や小説に夢中になるうちに、生活費を得るための電気技手の仕事がいやになり、2年後に東京へ舞いもどりました。そして、こんどはもう迷うことなく作家の道へ進んでいったのです。
幸田露伴(1867〜1947)──男性的、理想主義的な作風で、尾崎紅葉とならび称せられた作家。
詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづき幸田露伴を含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。